藤原隆房(読み)ふじわらのたかふさ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原隆房」の意味・わかりやすい解説

藤原隆房
ふじわらのたかふさ
(1148―1209)

平安・鎌倉時代の歌人、散文作家。権大納言隆季(ごんだいなごんたかすえ)の子。源平の争乱期に巧みに身を処して参議、権大納言に至り、1206年(建永1)出家して寂恵と号し、余裕のある晩年を過ごした。後白河院(ごしらかわいん)50歳の賀宴の記録である『安元御賀記』や、歌集『隆房集』を残す。『隆房集』は『艶詞(えんし)』ともいい、思いを寄せていた女性小督(こごう)が、高倉(たかくら)天皇に召されたため悲恋に終わる事情を、物語風に百首の歌でつづったもの。『平家公達草紙(へいけきんだちそうし)』も、その編纂(へんさん)に隆房が関与しているかと思われる。

[桑原博史]

『桑原博史著『中世物語の基礎的研究』(1969・風間書房)』『久保田淳他校注『中世の文学7 今物語・隆房集・東斎随筆』(1979・三弥井書店)』

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朝日日本歴史人物事典 「藤原隆房」の解説

藤原隆房

没年:承元3(1209)
生年:久安3(1147)
平安末・鎌倉初期の公卿,歌人。冷泉隆房,四条隆房とも。権大納言藤原隆季と藤原忠隆の娘の子。加賀守,因幡守,蔵人頭などを歴任。平清盛の娘を妻とし,父以来親平家的であったが,高階泰経の娘とも結婚し,平家没落後も蔵人頭,検非違使別当などを歴任し,正治1(1199)年中納言,正二位になる。翌年辞任。元久1(1204)年還任,大納言に昇り翌年辞任。建永1(1206)年出家。法名寂恵。音楽に優れ,笙,拍子などを得意とする。『安元御賀記』や高倉天皇に召された小督との悲恋を題材としたかと思われる家集『隆房集』(『艶詞』)を著す。『千載和歌集』以下の勅撰集にも入集。<参考文献>桑原博史『中世物語の基礎的研究』

(櫻井陽子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原隆房」の解説

藤原隆房 ふじわらの-たかふさ

四条隆房(しじょう-たかふさ)

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