薬師町(読み)やくしまち

日本歴史地名大系 「薬師町」の解説

薬師町
やくしまち

[現在地名]鳥取市薬師町・相生町あいおいちよう二―三丁目・寿町ことぶきちよう

大森おおもり町の北西、城下の北西端にある。町人地四八町の一町に数えられる。武家屋敷が混在する。町としての起立年代は明らかにされていない。町名は真言宗明光みようこう(出来薬師)の本尊薬師如来にちなむ。古くは出来薬師できやくしノ町といわれ、また「因幡民談記」には新薬師しんやくし町と記すという(因州記)。安永七年(一七七八)の家数三八、表口間数合せて七五間余、町役負担一九人余、賦課比率の等級は下の下に定められる(町方御定)

薬師町
たこやくしちよう

中京区室町通二条下ル

南北に通る室町むろまち(旧室町小路)を挟む両側町。北側を二条にじよう(旧二条大路)、南を押小路おしこうじ(旧押小路)が通る。

平安京の条坊では、町の東側が左京三条三坊四保九町西、西側が同一保八町東。平安中期以降は二条室町小路の南にあたる。平安時代、町の西側は鴨院の地にあたる(拾芥抄)

吾妻鏡」文治二年(一一八六)七月二七日条によれば、平経盛の家が当町東半の地にあり、平家没官領として没収されている。

薬師町
やくしちよう

東山区大黒町通松原下ル二丁目

大和大路やまとおおじ建仁寺町けんにんじまち通)に位置。明治一五年(一八八二)まで、薬師町(縦町)薬師辻子やくしのずし(横町)の二町よりなっていた。城東じようとう薬師やくし堂が当町に所在したところから、この町名がある。

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「薬師町 此町東側にきぬかい薬師堂とて有。(中略)又西側に耳塚通へ出る筋(大黒町通)有」とみえる。

薬師町
やくしまち

[現在地名]新宮市薬師町・大橋おおはし通二―三丁目

元鍛冶もとかじ町の南をほぼ東西に走る通りに沿う町。西は坐頭ざとう町、東は釘貫くぎぬき町、南は別当屋敷べつとうやしき町。中世には熊野七上綱の一人蓑島氏の屋敷があった。この屋敷跡に慶長六年(一六〇一)丹鶴たんかく山にあった東仙とうせん寺が移され、その本尊が薬師如来であったことから薬師町とよばれるようになったという。江戸時代初期頃の新宮古図(新宮木材協同組合蔵)には町名はみえないが、多くの町家や神人・社人・在家(一般民家)、寺院二(東仙寺・光行寺)が記され、町の西には田地があった。

薬師町
やくしちよう

中京区西洞院通夷川下ル

南北に通る西洞院にしのとういん(旧西洞院大路)を挟む両側町で、北を夷川えびすがわ(旧冷泉小路)、南を二条にじよう(旧二条大路)が通る。

平安京の条坊では、町の東側が左京二条三坊二保四町の西、西側が左京二条二坊三保一三町の東。平安中期以降は冷泉西洞院大路の南にあたる。平安時代、当町西側は陽成院の敷地内であり(拾芥抄)、また室町時代には赤松満祐の邸地であった(建内記)

応永三二年(一四二五)一一月一〇日付の酒屋交名(北野天満宮史料)には「冷泉西洞院南東頬 正寛」の名がみえる。

薬師町
やくしまち

[現在地名]西区城西じようさい二丁目

北は薬師裏やくしうら町、東は北鷹匠きたたかじよう町、南は江川えがわ町、西は江川に沿う。貞享三年(一六八六)熱田から当町に移った覚鳳かくほう(現千種区)真言宗豊山派に属し、俗にとら(虎)薬師と称され、それが町名の起源となった(金鱗九十九之塵)。覚鳳寺の境内は一反三畝一五歩あったが、昭和一四年(一九三九)に移転後、第二次世界大戦後の区画整理により、その跡はまったく失われた。

薬師町
やくしちよう

[現在地名]下館市こうおつ 薬師町

おお町の東にあり、台地の裾部に位置する。松平氏入封時に町内の鳳来山慶林けいりん寺の薬師如来にちなんで町名となる(下館町郷土史)慶林寺は寛永一六年(一六三九)の下館城図(田宮家蔵)に寺名があり、元禄一四年(一七〇一)の御用留帳(中村家文書)に「拙院客殿之儀及零落申候得共(中略)寺門之薬師如来来年三月八日より閏四月八日迄開帳付客殿建立仕度奉存候、殊ニ薬師如来之義三十三年目ニハ開帳可仕候由、段々先住代より申伝来置候(中略)薬師町慶林寺」とある。

薬師町
やくしちよう

[現在地名]近江八幡市薬師町

大工だいく町の北を限る東西路の北側を占め、北は八幡堀に面する。なお、この東西路が八幡町東端の南北路と交わる所より東では、一部、東西路の南側も当町域に含まれる。いわゆる多賀たが村六ヵ町の一。元禄町絵図では八幡堀に薬師町橋(のちの藍屋橋)が架かり、北の鉄砲てつぽう町へ通じる。「輿地志略」にも薬師町一町とある。町名は多賀村東照とうしよう(本尊薬師如来)が八幡城下形成以前には当地にあったことにちなむという(八幡町史)

薬師町
やくしまち

[現在地名]和歌山市東紺屋ひがしこんや

東紺屋町の中央部から東の和歌川岸にかけての東西の小路に面した町人町。「紀藩街官司秘鑑」に「船場之内ヲ薬師丁共宮之段とも唱」とあり、東紺屋町の東、広瀬八百屋ひろせやおや町の北の和歌川右岸の三角形の地を船場せんばといったらしく、薬師町は文政一三年(一八三〇)正式町名となった(「御触書写」道成寺文書)

薬師町
やくしちよう

上京区大宮通今出川下ル

南北に大宮おおみや通が通る。中世、大宮通以東は村雲むらくもの地。

元亀二年(一五七一)の御借米之記(立入宗継文書)に「薬師町」とあり、川西組に属した。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には「大宮薬師丁」、寛永一八年以前平安城町並図では「糸や町」、元禄末期洛中絵図には「薬師丁」、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「薬師町、一名浮世町とも云」と記される。

糸商人が軒を連ねるので糸屋町といい、延宝六年(一六七八)刊「京雀跡追」には「西ぢんおりものやにつかふからいとを多くあきなふ其家おゝし」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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