萩村(読み)はぎむら

日本歴史地名大系 「萩村」の解説

萩村
はぎむら

[現在地名]音羽町萩

赤坂あかさか北東山間にある。東は山嶺をもって財賀ざいか(現豊川市)に接する。音羽おとわ川の支流山陰やまかげ川に沿う。康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に「参百五十文 同、六月十八日定、同前 三淵掃部助殿(三河国荒井并萩分段銭)」として萩の地名がみえる。三淵氏については永享以来御番帳に「三淵又次郎」の名がみえる。ほかに萩小太郎・萩弥五郎の名もみえ、「日本国誌資料」に「萩城、熱田大宮司季兼八代、萩左京亮忠広の後、当地にありしと云ふ」としているものの詳細は不明。

萩村
はぎむら

[現在地名]阿久比町萩

西は阿久比川を隔てて大古根だいごね村、南は横松よこまつ村に続く。「寛文覚書」によれば、概高二六四石余、田地一九町八反余、畑地五反一畝余、戸数二七、人口二〇七。将軍上洛・朝鮮使節通行の時東海道鳴海なるみ宿へ人馬を出すとある。「徇行記」によれば「小百姓ハカリ」で「民居モ蝸廬ノミニテ英比庄中第一ノ貧村」とあり、農業を主とし耕夫が多く農閑期には開墾や土木作業などの黒鍬稼や酒造の杜司に出る。

萩村
はぎむら

[現在地名]前橋市昭和町しようわまち一―三丁目・国領町こくりようまち二丁目

前橋城下のむかい町の北にあたり、西は岩神いわがみ村、東は国領村、北は下小出しもこいで村。寛文郷帳に田方八八石二斗余・畑方八一石九斗余とある。村高は近世を通じてほぼ変わらない。明治一〇年(一八七七)頃の田一〇町八反余・畑六町六反余、民業は「男農桑ヲ業トスル者八戸、女養蚕製糸ヲ業トスル者弐拾人」とあり、牡馬二、物産として蛹二〇石、生糸一五貫三〇〇匁がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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