茶屋(茶店)(読み)ちゃや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「茶屋(茶店)」の意味・わかりやすい解説

茶屋(茶店)
ちゃや

茶を接待するための一種の茶店。15世紀に入ると、抹茶(まっちゃ)を喫する風俗が一般民衆へも広がりをみせていき、街道を往来する人や寺社詣(もう)でをする人のために、門前に茶売りが集まるようになった。これを一服一銭の茶売りとか茶屋と称している。その史料的な初見は、1403年(応永10)東寺南大門の茶売りである。一服一銭の茶売りは、通常、天秤(てんびん)棒の一方に風炉(ふろ)と釜(かま)、他の一方に桶(おけ)水指と天目(てんもく)、台、茶筅(ちゃせん)などの入った箱を担って、人の集まるところへ持ち出し、一服を一銭の値で提供したもの。『七十一番職人尽歌合(うたあわせ)』には一服一銭の茶売りと煎(せん)じ物売りが描かれている。一服一銭には「こ(古)葉の御茶をめし候へ」と詞書(ことばがき)があって、天目台を持って茶筅で茶を点(た)てているようすが描かれているから抹茶であったことがわかる。それに対し煎じ物売りは、狂言の「せんじもの」に茶屋の座をもって煎じ物を売買する話が描かれているから、小屋掛けをして一定の場所で提供するものであったらしい。この掛茶屋で、女性が亭主となって売る場合を「小町茶屋」とよぶが、江戸中期になると酒を売る御茶屋との区別がつかなくなる。なお中世では、茶室源流となった庭中の小亭をも茶屋とよぶ。

 このほかに、煮売茶屋、菜飯(なめし)茶屋、豆腐茶屋、また街道筋の立場(たてば)茶屋や墓地の墓茶屋などができ、宿屋を兼ねるところもあった。都市では料理茶屋、芝居(芝居札)茶屋が人気を博した。遊里には編笠(あみがさ)茶屋や引手茶屋が、また相撲(すもう)場近くには角力(すもう)茶屋が生まれた。陰間(かげま)茶屋、出合(であい)茶屋、待合茶屋などが出現したのは19世紀に入ってからのことである。喫茶店全盛の今日は、これらの茶屋はほとんど残っていない。

[筒井紘一・遠藤元男


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