茂木街道(読み)もぎかいどう

日本歴史地名大系 「茂木街道」の解説

茂木街道
もぎかいどう

江戸時代からの街道で、長崎市中と茂木村(現長崎市)をほぼ南北に結ぶ。街道筋は長崎の六ヵ所口の一つ(長崎名勝図絵)。茂木からは島原半島の諸浦津や肥後天草あまくさへの舟運があり、寛永一八年(一六四一)天草幕府領になるに伴いその役割が重視された。長崎市中の正覚しようかく寺から高島秋帆旧宅や八剣やつるぎ神社を経て田上たがみの峠に至るが、浄土宗田上寺は巡見する長崎奉行や上使らの休息所に充てられたという。峠への急坂ピントコ坂は明の何旻徳と遊女お登倭の悲恋話で知られ、近くに疱瘡で死んだ人々を正徳三年(一七一三)に祀った茂木道無縁塔のほか、供養塔や地蔵菩薩が置かれた。峠を下り、転石ころびいし柳山やなぎやまつじを経て茂木に達する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報