致道館跡(読み)ちどうかんあと

日本歴史地名大系 「致道館跡」の解説

致道館跡
ちどうかんあと

[現在地名]鶴岡市馬場町

鶴ヶ岡城跡の南東、標高は約一五メートルの地にある庄内藩藩校跡。寛政年間(一七八九―一八〇一)庄内藩士の道徳頽廃を憂えた藩主酒井忠徳は重臣白井矢大夫に諮問し、学校による教育の進言を受けた(野中の清水)寛政改革が成功し藩財政にゆとりが出てきた寛政一二年、忠徳は白井矢大夫と家老服部円蔵を学校御用掛に任命城下の北大宝寺だいほうじ六軒小路ろつけんこうじ大蔵小路おおくらこうじとの間を敷地として藩士子弟教育のための学問所を建設することを命じた(東月書簡)。翌享和元年(一八〇一)「学校」と称するため孔子の聖像を祀ることを幕府に願出て許された。備前岡山藩の閑谷しずたに学校(現岡山県備前市)絵図を借り、同三年正月着工。文化元年(一八〇四)聖廟・神庫・御入の間・講堂養老の間・会業の間・典学句読師詰所・勝手勘定役詰所・矢場・武芸稽古所などの施設が完成し、致道館の額が掲げられた。同年二月総奉行・副奉行・祭酒・学監・司業・助教・典学・句読師・司書・司器などの職制が定められ、校長にあたる祭酒には白井矢大夫が就任した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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