膳村(読み)ぜんむら

日本歴史地名大系 「膳村」の解説

膳村
ぜんむら

[現在地名]粕川村膳

なか村の東に位置し、東から北は山上やまかみ(現新里村)に接する。長享元年(一四八七)一二月一八日の上杉顕定書状(反町弘文荘集録)によると、同月一四日上杉勢が善・山上を攻め敵を退散させている。この頃すでに城が築かれていたと考えられ、この城をめぐって天正年間(一五七三―九二)上杉・武田・小田原北条の三氏が攻防を繰返した。なおこの時期の文書にはいずれも善と書かれている。寛文郷帳には膳村とあり田方一八三石余・畑方二一〇石余、前橋藩領。江戸後期の御改革組合村高帳では家数二九、出羽松山藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報