膳城跡(読み)ぜんじようあと

日本歴史地名大系 「膳城跡」の解説

膳城跡
ぜんじようあと

[現在地名]粕川村膳

うさぎ川を南限として築かれていた室町後期―戦国期の城。南北約五〇〇メートル、東西約二五〇メートル。赤城山麓の小丘陵を利用しての築城。中央やや北寄りに一辺約四五メートルほどの方形本丸を築き、そのまわりを壕・土塁で区切り、さらに東曲輪、西曲輪、北曲輪、二ノ丸、三ノ丸、帯曲輪などの区画があった。県指定史跡。

築城時期は不明。当初の城主善氏は鎌倉幕府問注所執事三善康信の子孫と伝えられる。長享元年(一四八七)一二月、上杉顕定方の長尾蔵人・佐野周防守・赤堀上野介らが善、山上やまかみ(現新里村)を攻め敵を退散させているが(同月一八日「上杉顕定書状」反町弘文荘集録)、この時期には築城されていたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報