綿町(読み)わたまち

日本歴史地名大系 「綿町」の解説

綿町
わたまち

[現在地名]姫路市綿町

姫路城南の外曲輪に位置する町人町ほん町の東から惣社門南までの山陽道に沿った東西の町筋。慶長六年(一六〇一)の町割で成立。江戸時代初期は口入屋があって小物屋こものや町と称したが、綿商が多かったことから綿町と称するようになったという(大正八年刊「姫路市史」)。慶安二年―寛文七年(一六四九―六七)の侍屋敷新絵図に「わた町」とあり、宝暦一一年(一七六一)写の姫路図には綿屋町と記される。姫路町衆とよばれた当町の石橋屋新兵衛は、元和八年(一六二二)大西甚左衛門(元塩町)・深野坂太夫の三人で大坂材木を買取り、他の町衆や近在の衆と円教えんぎよう寺の講堂常行堂などの修造を行った(「書写山円教寺旧記新略記」円教寺蔵)

綿町
わたまち

[現在地名]大和郡山市綿町

天正一六年(一五八八)の郡山惣町分日記(春岳院文書)にみえる内町(箱本)一三町の一つ。初期、綿花繰綿などを取扱う商工業者の居住地であったろう。

綿町
わたまち

[現在地名]奈良市西木辻にしきつじ

浄言寺じようごんじ町の南に所在。木辻村のうちに発達した町で、「奈良曝」に「木辻組のうち」とみえる。「奈良坊目拙解」によれば、南北およそ二町余で屋地子を課せられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報