竜口村(読み)りゆうぐちむら

日本歴史地名大系 「竜口村」の解説

竜口村
りゆうぐちむら

[現在地名]室生村大字竜口

名張なばり川支流、阿清水あしようず川の発源地。竜口は水源地(竜神信仰)を意味する語か。大治四年(一一二九)五月一二日の伊賀国留守所下文案(東大寺文書)には「留守所下 名張郡司 可早令停止往古国領字竜口開発田畠及国見御杣等、俄大野庄住人等企妨事云々」とみえ、文久二年(一八六二)古図(竜口村文書)には大和・伊賀国境に「竜王宮」を図示している。竜口は俗に伊賀流忍者百地氏本居の地と称し、モモジノカミ・モモシの小字が残っている。

竜口村
たつのくちむら

[現在地名]高森町竜口

現高森町の北、天竜川沿いに位置する。

元亀三年(一五七二)頃のものと推定される市田之郷伝馬之衆書上(関川文書)に、「たつのくち」として四人の名前が記されており、これが文献上の初見である。村高は正保四年(一六四七)・元禄一五年(一七〇二)・天保五年(一八三四)ともに四一〇石余(信濃国絵図高辻・信濃国郷帳)で変わらなかった。延宝九年(一六八一)より、当村のうち下竜口・原城はらのじよう郷頭ごうずなど三〇〇石が座光寺氏の分家に分知された。小沼こぬまは分知に属さなかったので、上平うえだいら村のうちへ組み入れられた(高森町史)

村は古くから天竜川の洪水に苦しめられ、天保五年から同九年までかかって完成した石積普請には、人足延べ五万人以上を要したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報