立花城跡(読み)たちばなじようあと

日本歴史地名大系 「立花城跡」の解説

立花城跡
たちばなじようあと

[現在地名]新宮町立花、久山町久原、福岡市東区下原

立花山(三六七・一メートル)の山頂部一帯に築かれた中世山城。一三三〇年代頃に大友貞宗の子貞載によって築城されたといわれている(「新宮町誌」など)。門司親尚軍忠状(門司文書/南北朝遺文(九州編)四)に「香椎・立花寺并宗像御在陣」(康安二年一一月日付)、「橘・香椎両陣」(貞治三年三月日付)、「香椎・立花・金生合戦」(同四年四月日付)などとみえ、南朝方として九州に渡った大内弘世との戦いで、親尚は一時立花、香椎(現東区)に拠ったことがわかる。永享三年(一四三一)大内盛見の軍勢筑前における大友氏の拠点であった「立花城」を攻略した(「満済准后日記」同年六月八日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「立花城跡」の解説

立花城跡

(福岡県福岡市東区・糟屋郡新宮町・久山町)
福岡県文化百選 歴史散歩編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報