看聞日記(読み)カンモンニッキ

デジタル大辞泉 「看聞日記」の意味・読み・例文・類語

かんもんにっき【看聞日記】

室町時代後崇光院ごすこういん日記。応永23~文安5年(1416~48)の日記41巻と応永15年(1408)の御幸記1巻、別記1巻、目録1巻の計44巻。当時の宮廷幕府世俗出来事などを記す。看聞御記

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改訂新版 世界大百科事典 「看聞日記」の意味・わかりやすい解説

看聞日記 (かんもんにっき)

室町時代前期の政治,社会経済,思想,文化など各方面にわたる基本史料としてつとに名高い日記。1416年(応永23)1月1日から48年(文安5)4月7日までの記事からなる(一部欠)。筆者貞成(さだふさ)親王伏見宮)。自筆の原本全44巻(うち第1巻は書状の包紙などを収む)が宮内庁書陵部伝存する。書名貞成親王自身の命名したもので,正しい書名であるが,ふつうは《看聞御記(かんもんぎよき)》の名でしられてきている。〈看聞〉とは,文字どおりに〈見たり聞いたりしたこと〉の意味であるが,政界深奥部の極秘事から巷間の風聞にいたるまでの豊富な話題が記されており,当代の歴史研究に不可欠である。ことに,同じく北朝系(持明院統)に立ちながら皇位を継承できなかった貞成親王と,これに対立する後小松天皇・称光天皇父子との確執のさまや,皇位継承問題をめぐる貞成親王と将軍足利義持・足利義教との交渉ぶりが綿密に記録されているし,また膝下の領地であった山城国伏見荘(現,京都市伏見区内)での土豪や名主百姓の下剋上的な動静もみてとれ,さらには猿楽(さるがく),茶,花,香など当代隆盛の諸芸能の実相についても貴重な記事が多い。1930年に,続群書類従完成会より《群書類従》の一部として翻刻出版され(《看聞御記》),34年には,宮内庁書陵部より巻子装影印本(《看聞日記》)として,限定部数が釈文とあわせて出されている。
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百科事典マイペディア 「看聞日記」の意味・わかりやすい解説

看聞日記【かんもんにっき】

室町時代前期の伏見宮貞成(ふしみのみやさだふさ)親王の日記。かつては《看聞御記(ぎょき)》の名で知られてきた。記事は1416年から1448年に及ぶが,一部を欠いている。〈看聞〉とは,見たり聞いたりするの意で,文字通り朝廷内の極秘事項から,巷の風聞に至るまでの内容を記述している。北朝系(持明(じみょう)院統)に立ちながら皇位を継承できなかった貞成親王と,これに対立する後小松(ごこまつ)天皇・称光(しょうこう)天皇父子との確執などについての記述は詳細で,ほかに山城国伏見荘(現京都市伏見区)における土豪や名主(みょうしゅ)・百姓などの下剋上(げこくじょう)的な動静,当時の猿楽(さるがく)や茶など諸芸能についての記事も見られる。室町前期の政治・社会・文化など多方面について知ることのできる好史料。

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世界大百科事典(旧版)内の看聞日記の言及

【御伽草子】より

… 以上のことからも,御伽草子の成立の時期を明確に位置づけることは難しいが,物語絵巻――《源氏物語絵巻》《寝覚物語絵巻》《葉月物語絵巻》また白描の《枕草子絵巻》など――や説話絵巻――《信貴山縁起》《長谷雄卿草子》《男衾三郎絵詞》など――とは明らかに一線を画す,《是害房絵詞》《箱根権現縁起絵巻》《熊野縁起》《厳島の本地》《日光山縁起》といった絵巻や,《神道集》と共通素材を有する一群の絵巻が,南北朝期から室町初期には成立していたことが知られている。伏見宮貞成親王の《看聞日記》には,絵巻や冊子の類が御所,禁裏,将軍家の間を往来し書写されていたことが克明に記されている。これらが著名な社寺の宝蔵に存していたことも推測される。…

【狂言】より


[風刺の笑い]
 狂言が成立する背景に,南北朝から室町時代にかけてもり上がった下剋上の風潮があったことを思えば,その中に世相風刺の笑いが含まれるのは当然であろう。《看聞日記》応永31年(1424)3月11日には《公家人疲労(困窮)ノ事》という狂言が演じられた記事があるし,《天正狂言本》の中の《近衛殿申状》という狂言では年貢減免について訴える農民も登場している。ただこれらの狂言が後世に伝承されなかったことからもわかるように,現在の狂言からはそうした世相に密着した風刺はほとんど影をひそめ,代わって人間誰しもがもっている弱点をユーモラスに指摘する形の風刺が主流となっている。…

【風流】より

…日本の俗,拍子物を呼びて風流と曰ふ〉と記している。この時代の風流の実態を最も詳しく記したものに《看聞日記》がある。これは室町時代初期に,京都近郊の伏見郷に居を構えた伏見宮貞成(さだふさ)親王の日記であるが,それによれば,風流を催すのは郷内の地下人(じげにん)で,新春の松囃子(まつばやし)や左義長(さぎちよう),それに盂蘭盆会(うらぼんえ),祭礼などに,郷内の村々がそれぞれ趣向を競った囃子物を仕立てて御所に推参し,寺や各村へも互いに往来しあったという。…

【盆踊】より


[歴史]
 死者供養としての念仏踊(踊念仏)は,空也(くうや),一遍(いつぺん)などを祖とする念仏聖によって早くから行われていたが,共同体が自分たちの手で先祖供養のために踊りを行ったのは,中世後期以降と考えられる。その姿は《看聞日記》に念仏拍物(ねんぶつはやしもの)として見え,京都近郊の伏見郷の郷民が風流(ふりゆう)の作り物を念仏で囃し,郷内の村々を互いに往き来して趣向を競いあう姿が記されている。ただし,この念仏拍物はまだ踊りとはいえず,正月の松囃子(まつばやし)や祭礼に行われた風流の拍物(囃し物)を転用し,念仏で囃したところに特色があった。…

※「看聞日記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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