神石高原(読み)じんせきこうげん

改訂新版 世界大百科事典 「神石高原」の意味・わかりやすい解説

神石高原[町] (じんせきこうげん)

広島県東部,神石郡の町。2004年11月三和(さんわ),神石(じんせき),油木(ゆき)の3町と豊松(とよまつ)村が合体して成立した。人口1万0350(2010)。

神石高原町南部の旧町。神石郡所属。人口4520(2000)。吉備高原に位置し,高梁(たかはし)川支流の小田川の上流域を占める。米作中心の農業が主産業で,コンニャク,タバコ,野菜の栽培,肉用牛の飼育養鶏も行われ,野菜団地や養鶏団地がある。特産にマツタケシイタケがある。福山市と岡山県新見市を結ぶ国道182号線が南北に通じる。

神石高原町北西部の旧町。神石郡所属。人口2905(2000)。吉備高原の最高部に位置する神石高原にあり,町域の北部を高光川,南部を福桝(ふくます)川が北東流し,東城町との境界を流れる帝釈(たいしやく)川に合流する。林業を主体に,タバコ,シイタケ,コンニャクの栽培が行われ,肉牛神石牛)の飼育も盛んである。国の名勝に指定されている帝釈峡は石灰岩地帯にあり,溶食作用による自然橋,奇石,鍾乳洞などがみられる。景勝地で,比婆道後帝釈国定公園に属する。また石灰岩の岩陰や洞窟を利用した遺跡が多く,帝釈峡遺跡群に属する観音堂洞窟遺跡などがある。

神石高原町北東部の旧村。神石郡所属。人口1843(2000)。吉備高原にあり,高梁川支流の成羽(なりわ)川が北境を東流する。中心集落の下豊松は鶴岡八幡神社の門前町として古くから栄え,中世には市が開かれていたといわれる。米作を中心とした農業が主産業で,高原ではタバコ,コンニャクの栽培や,和牛の飼育が行われる。堂面洞窟遺跡は帝釈峡遺跡群の一部で,縄文時代の遺物が出土した。成羽川に発電・工業用水用の新成羽川ダムがある。

神石高原町北部の旧町。神石郡所属。人口3244(2000)。東は岡山県に接し,町域には中国山地の山々が分布,南東部から隣接する旧豊松村にかけて標高700m前後,面積400haに及ぶ仙養原せんようがはら)が広がる。福桝川,帝釈川,天田川などが流れて東城川に注ぐ。近世前期は福山藩領に属したが,のち幕府領と豊前中津藩領に分かれ,福山城下と備後北部を結ぶ東城路が通じていた。〈神石牛〉として知られる和牛の飼育は古くから盛んで,1916年には県の種畜場が油木に設置され,仙養原も放牧場として利用されていた。棚田での米作が行われ,コンニャク,シイタケを産するが,高冷地野菜の栽培も推進され,福山市,広島市などへ出荷される。南部を東流する小田川の谷では,古くは銅や鉄が採掘された。油木八幡神社は豊前宇佐八幡の分霊を勧請したと伝え,南北朝期の《紙本墨書大般若経》を蔵する。10月の例祭には〈神儀〉の行事が奉納される。かつての東城路はほぼ現在の国道182号線にあたり,町の中央を縦断する。
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