磯上村(読み)いそかみむら

日本歴史地名大系 「磯上村」の解説

磯上村
いそかみむら

[現在地名]長船町磯上

西大平にしおおひら山・東大平山の西麓に広がる平地にある。南の牛文うしぶみ村以外はすべて和気わけ郡の境界に接し、北はみやたお越で福田ふくだ村、西は新庄しんじよう村、東は長谷ながたに越で久々井くぐい(以上現備前市)にそれぞれ接する。古代の邑久郡石上いそのかみ(和名抄)の遺称地とされ、中世には一帯に磯上保が成立していた。康暦三年(一三八一)二月二四日、浦上宗覚は保内一色田一町を京都大徳寺如意庵に寄進している(「沙弥宗覚田地寄進状案」大徳寺文書)。右の一町では、至徳元年(一三八四)一〇月の如意庵文田地注文(同文書)によると、太唐米(赤米)が作られていた。

磯上村
いそのかみむら

[現在地名]岸和田市磯上町一―六丁目

春木はるき村の北、海辺沖積低地から海岸段丘にかけて位置する。久米田くめだ池から流下するあまノ川が吉井よしい村から村内に入り、春木村との村境を北西流し、流末は春木村領へ入って海に注ぐ。紀州街道が村内を北東から南西に斜走。北東は泉郡忠岡ただおか(現泉北郡忠岡町)。慶長九年(一六〇四)加守郷之内磯上村検地帳(東京大学史料編纂所蔵)によれば高五三九石余、うち三二石畑方・五八石余永荒。

磯上村
いそがみむら

[現在地名]下郷町磯上・荒石あらいし

安張やすわり村の南西、阿賀川支流戸石といし川南岸の段丘上に立地。水抜みずぬき村から赤土あかつち峠越で高野こうや(現田島町)に至る道が通る。南山御蔵入領楢原組に属する。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」では楢原ならはら郷のうちに村名がみえる。貞享二年(一六八五)の「楢原郷地下風俗覚書」によれば用材の伐り出しを行っていた。元禄四年(一六九一)の万覚書帳(下郷町史資料集)によれば高七六石余、反別田一町四反余・畑一一町九反余、家数一二・竈数一四、人数六〇、馬八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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