石野郷(読み)いしのごう

日本歴史地名大系 「石野郷」の解説

石野郷
いしのごう

中世山名やまな庄域に所在したとみられる郷。現石野および小野田おのだを含む一帯に比定される。安貞元年(一二二七)二月二五日の懸仏銘(東京国立博物館蔵)に「石野若宮王子」とある。正安三年(一三〇一)五月二二日の大仏宣時下知状(本間文書)に「石野郷内小野田村」とみえ、当郷内に小野田村が含まれていた。応永六年(一三九九)九月一七日、足利義満御内書(宝鏡寺文書)によって柴美濃入道領が幕府料所とされ、義満側室寧福院に与えられたが、このうちに当郷・貫名ぬきな郷平六名などが含まれており、翌九月一八日幕府は遠江半国守護今川了俊に、幕府料所代官に交付するよう命じている(「管領畠山基国奉書」同文書)

石野郷
いわのごう

和名抄」高山寺本・流布本ともに「石野」と記し、高山寺本は「以波野」、流布本は「伊波乃」と訓ずる。ひじ川の上流宇和川の貫流する宇和盆地の大部分とその宇和海沿岸を含んでいたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報