真浄寺(読み)しんじようじ

日本歴史地名大系 「真浄寺」の解説

真浄寺
しんじようじ

[現在地名]高砂市伊保三丁目

伊保いほ山・竜山たつやま丘陵の南に位置する。瞻蔔山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊阿弥陀如来。天文三年(一五三四)建立開基は浄西。寛永一三年(一六三六)二世浄西のとき木仏・寺号を免許された。初めは西福寺と号した。正徳三年(一七一三)現寺号に改号した(末寺帳)。開基浄西は俗名井村源左衛門、もとは清和源氏の末流で奥村と称したが、三木城主別所氏から井村姓を与えられた。

真浄寺
しんじようじ

[現在地名]熊本市坪井一丁目

もとの新坪井堀端しんつぼいほりばた町の東側の南にあり、大法山と号し、日蓮宗、本尊十界曼荼羅。「国誌」によれば、豊前小倉こくら真浄寺の弟子要善院日富が、寛永九年(一六三二)細川忠利に従って入国し、志水元五屋敷裏に庵を結び、忠利から寺地を賜り、同一一年開基創建したという。寺号は本寺真浄寺と同号に称すべきとの命によった。日富は細川忠興加藤清正・細川忠利に仕えた家禄六千石の志水伯耆の弟九郎左衛門の末子という。

真浄寺
しんじようじ

[現在地名]笠間市笠間

長耀山と号し、日蓮宗。本尊は十界大曼荼羅。慶長元年(一五九六)唯心院日忠が、徳川秀忠の乳母正心院殿日幸尊尼の霊牌を安置するために高橋たかはし町北側の法華ほつけ(現鷹匠町)に創建と伝え、寛永一七年(一六四〇)城下町整備のため現在地に移転した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報