百石町・田町・小砂町(読み)ひやつこくまち・たまち・こすなまち

日本歴史地名大系 「百石町・田町・小砂町」の解説

百石町・田町・小砂町
ひやつこくまち・たまち・こすなまち

[現在地名]甲府市丸の内まるのうち二―三丁目

新青沼しんあおぬま町の南に接し、南の西青沼町との間に挟まれた郭外の武家地。元禄三年(一六九〇)の甲府町絵図写(坂田家文書)には三町とも武家地として示されているが、地名はみえない。「甲陽柳秘録」には三町の名が記されて、甲府藩時代に近習取次・勘定等の諸士の屋敷が並んだというが、町の区割は判然としない。文政年中(一八一八―三〇)の甲府郭内外邸第図(県立図書館蔵)によれば、百石町は新青沼町の中ほどから南へ入る南北の通りと、その東側に並行する二つの南北の通りからなり、西青沼町に接するのは東端の通りのみである。田町は百石町の南西の南北の通りと、中ほどから東へ入る東西の通りからなり、小砂町は田町の南に位置する東西の小規模の通りである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報