百姓申状(読み)ひゃくしょうもうしじょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「百姓申状」の意味・わかりやすい解説

百姓申状
ひゃくしょうもうしじょう

13世紀後期から15世紀なかばにかけて、領主に諸要求を提出した農民たちの上申書のこと。農民たちの上申書は、11~12世紀には荘官(しょうかん)の署判も連ねた住人(じゅうにん)(百姓)等解(らげ)という形式が一般的であったが、12世紀後期を過渡期として、農民たちのみの連署あるいは「百姓等」の一括名称による百姓申状の形式に変化した。

 百姓申状にみられる農民たちの要求には、年貢減免、代官の非法停止などの領主支配に対するものから、駐留武士の違乱停止、用水および山野争論といった村落間秩序に関するものなどがあった。これらの要求を掲げた申状の作成主体である農民たちの結合は、特定の上層農民の結合から、一般農民を含む村落結合へと拡大している。たとえば若狭(わかさ)国太良(たら)荘(福井県小浜(おばま)市)では、申状の連署者を追ってみると、13世紀後期から14世紀中ごろにかけて、一般農民も連署に加わり、村落結合の構成員として申状の作成に関与するようになった。農民たちは一味神水(いちみしんすい)という共同行為に支えられ、彼らの寄合の場において百姓申状を作成した。そして申状の旨に偽りがあれば、自分たちの身に仏神の罰を被るという起請文(きしょうもん)を添える場合も多かった。このような農民たちの連署を伴う百姓申状および起請文の提出という訴訟闘争は、とくに中世後期の農民闘争の典型的形態であり、それがいれられない場合には、播磨(はりま)国矢野(やの)荘(兵庫県相生(あいおい)市)の農民たちのように逃散(ちょうさん)などの実力行使に踏み切ることもあった。しかし、このような広範な農民の要求を含み込んだ百姓申状も、その作成主体である村落結合内部の階層分化の激化などにより、15世紀なかばには消滅した。

[下東由美]

『佐藤和彦著『南北朝内乱史論』(1979・東京大学出版会)』『島田次郎著『日本中世の領主制と村落 下』(1986・吉川弘文館)』『入間田宣夫著『百姓申状と起請文の世界』(1986・東京大学出版会)』

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