田辺廃寺跡(読み)たなべはいじあと

日本歴史地名大系 「田辺廃寺跡」の解説

田辺廃寺跡
たなべはいじあと

[現在地名]柏原市田辺一丁目

明神みようじん山系から西へ延びた、標高四二―四三メートルの台地上にある。国指定史跡。現状は春日神社境内地。渡来系の田辺史一族の氏寺とみられる。東西に塔を配した薬師寺式伽藍配置をとり、東塔は積み、西塔は瓦積みの基壇であることが知られていた。昭和四六年(一九七一)南門・東西両塔・金堂跡などが調査され、出土した屋瓦から奈良時代前期に西塔および金堂が建立され、東塔・南門は奈良時代後期以降の建立と推定された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「田辺廃寺跡」の解説

たなべはいじあと【田辺廃寺跡】


大阪府柏原市田辺にある寺院跡。大和川と石川の合流点にあたる東の小丘陵上、古代難波から大和へ通じる2つの街道が合流する要衝に立地する。1975年(昭和50)に国の史跡に指定された。現在の春日神社境内には、白鳳(はくほう)時代に創立され、天平時代に整備された寺院跡が存在し、南門から大きく離れて中門があり、その北に東・西両塔が配置され、さらに北に金堂の諸遺構が確かめられた。南門、中門、金堂は瓦積み基壇で、金堂には脇侍の台座が残されている。東塔は塼(せん)積み基壇、西塔は瓦積み基壇で、対照的な小規模な三重塔。遺物は、白鳳期から室町期までの古瓦類、塼、鉄釘、須恵器(すえき)、土師器(はじき)、陶磁器、土釜類などである。田辺の地は、外来系民族である田辺史(たなべのふひと)氏の本拠で、遺跡や遺物は氏の盛衰を物語る。近畿日本鉄道大阪線河内国分駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報