琉球館跡(読み)りゆうきゆうかんあと

日本歴史地名大系 「琉球館跡」の解説

琉球館跡
りゆうきゆうかんあと

[現在地名]鹿児島市小川町など

現在の長田ながた中学校敷地の一部にあたる。古くは琉球仮屋と称した。慶長一四年(一六〇九)琉球を征した鹿児島藩琉球王国を代表する者を鹿児島城下に在番させることを求めた。当初は三司官の一人が在番するのを通例としていたが、正保四年(一六四七)琉球使参府の時に副使を勤める格の親方に代わり、寛文七年(一六六七)親方在番が定着した(鹿児島県史)。在番親方・従者の住まいで、積登荷物の倉庫、貿易の場を琉球仮屋と称し、これを監督する藩士役職を琉球仮屋守といった。琉球仮屋の重要な役割は進貢貿易のための貿易銀調達にあった(琉球館文書)。天明四年(一七八四)琉球仮屋を琉球館、琉球仮屋守を琉球館聞役と改称(旧記雑録)

寛永一三年(一六三六)の鹿児島衆中屋敷検地帳(旧記雑録)によれば、「久保田諏訪之後辺」とある部分に「下屋敷一段九せ六分 琉球仮屋」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報