琉球王国(読み)りゅうきゅうおうこく

山川 日本史小辞典 改訂新版 「琉球王国」の解説

琉球王国
りゅうきゅうおうこく

1429年,尚巴志(しょうはし)が沖縄本島の北山中山南山の3王国を統一して樹立した王国。首里(しゅり)に王府をおき,奄美(あまみ)群島から八重山列島に至る南西諸島を領域とした。すでに1372年に中山王察度(さっと)が明の太祖洪武帝(こうぶてい)に入貢していたが,尚氏も引続き明と冊封(さくほう)関係を続けた。1609年(慶長14)鹿児島藩主島津家久は徳川家康の許可を得て琉球を征服し,与論島以北の奄美群島を割譲させ,慶賀使謝恩使を江戸に派遣することで幕府への従属を示させた。明との冊封関係は続けられたので,琉球は日明両属の立場となった。幕府が倒れた後,明治政府は1872年(明治5)琉球藩をおき尚氏を藩王としたが,79年軍隊・警察官を動員して沖縄県の設置を宣言し,王国は解体され,その歴史を閉じた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の琉球王国の言及

【尚氏】より

…琉球王国の王統。第一尚氏と第二尚氏の区別がある。…

【中山王】より

…14世紀に入ると,沖縄には山北(さんほく),中山,山南とよばれる三つの小国家が出現し,それぞれ〈王〉を称した。中山王の呼称はこのうちの中山の王の称であったが,やがて15世紀初期に中山王の尚氏が他の2国を平定して統一王朝(琉球王国)を樹立すると,そのまま統一王朝の王の呼称として用いられた。1372年の国交関係樹立以後,中山王は中国皇帝の名において派遣される冊封使によって冊封される慣例となり,琉球処分までの500年間この慣例は存続した。…

【琉球】より

…なお〈琉球〉の名称は察度の入貢のときから用いられはじめ,以後沖縄の公称となった。
[琉球王国の成立]
 三山の対立は英雄尚巴志(しようはし)の登場により終止符が打たれる。1416年彼は山北王攀安知(はんあち)を攻め滅ぼし,29年には山南王他魯毎(たるみい)を倒して琉球の統一に成功し,琉球王国を樹立した。…

【琉球処分】より

…沖縄の廃藩置県のこと。明治政府は王国体制のまま存続しつづける琉球の処遇について画策し,1872年(明治5)9月,琉球王国をひとまず〈琉球藩〉とし外務省の管轄とした。つづいて〈琉球藩〉を廃して〈沖縄県〉を設置しようとしたが,琉球側の執拗な抵抗と琉球に対して宗主権を主張する中国(清朝)の強い抗議にあい,容易に意図を実現することができなかった。…

※「琉球王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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