琉球人(読み)りゅうきゅうじん

改訂新版 世界大百科事典 「琉球人」の意味・わかりやすい解説

琉球人 (りゅうきゅうじん)

琉球列島に住む人々で,本土域の人に比べて概して背が低く,体毛が濃い。頭髪は波状毛で二重瞼,福耳(分離型耳垂)の頻度が高く,また腋臭と湿型耳垢(飴耳)の割合が高い,といった特徴をもつ。明治時代にE.vonベルツによってこうした特徴の多くがアイヌと共通することが指摘され,琉球・アイヌ同系説が唱えられたが,近年,顔面の平坦性や頭蓋小変異の分析では,アイヌよりも本土日本人との強い類似性が指摘されるなど,形質によって両集団の親疎関係は一様ではない。ミトコンドリアDNAなど各種の遺伝学的な分析でも,アイヌと琉球人の間には,ある程度共通する要素のあることが繰り返し指摘されているので,両集団が同系もしくは近縁集団を祖先にもっていたと想定することは不合理ではなかろう。ただ,その後現代に至る長い歴史の中で各々周辺域から影響を受けて地域性を強めていったものと考えられるが,その実態については未解明の部分が多い。沖縄諸島喜界島から沖縄本島までを含む島々)では,すでに3万年余り前から人類居住が確認され,とくに沖縄本島の港川人(約1万8000年前)については,ジャワ島ワジャク人など,アジア南部との繋がりが指摘されているが,この地域ではその後1万年余りの間に遺跡の空白期があり,これらの更新世人類がその後の琉球人の形成に寄与し得たかどうか疑問視する意見もある。縄文時代前期(貝塚時代)になると,この沖縄諸島に九州の曾畑式土器流入が確認され,おそらくこの頃から本土域との人的交流が強まった可能性が考えられる。しかし,より南に位置する先島諸島宮古島から最南端の波照間島や最西端の与那国島を含む島々)では,中世のグスク時代まで沖縄諸島とも交流はなく,むしろ台湾やフィリピンなどとの繋がりを窺わせる独自の文化圏を形成していた。おそらく多少なりともそうした周辺域との人的交流もあったと考えられるが,先史時代の人骨資料が未発見のため,この地域の人々がその後の琉球人の形成にどの様な役割を果たしたかは不明である。いずれにしろ中世のグスク時代になると,この先島諸島も北の沖縄諸島や本土域からの文化的,人的な強い影響にさらされ,やがては琉球王朝成立もあって,琉球列島全域にわたる文化的,人的な斉一化が進行し,次第に本土集団との類似性を強めて,現在の琉球人の成立へと繋がっていったと考えられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報