玄海
げんかい
福岡県北部、宗像郡(むなかたぐん)にあった旧町名(玄海町(まち))。現在の宗像市北部地域。旧玄海町は、1955年(昭和30)神湊(こうのみなと)町と田島、池野、岬(みさき)の3村が合併して成立。2003年(平成15)宗像市と合併し、宗像市の一地区となった。離島の地島(じのしま)、勝島を含む。孔大寺(こだいじ)山(499メートル)などの丘陵性山地が広く分布するが、玄界灘(げんかいなだ)に注ぐ釣(つり)川沿いには沖積低地が開け、沿岸には砂丘が発達している。農業が中心で、稲作のほか、ミカン、イチゴ、鶏卵などを産する。沖合いは好漁場で、海女(あま)で有名な鐘崎(かねざき)はフグ延縄(はえなわ)漁業が盛んであり、大島(宗像市)への渡し船が出る神湊は魚料理の旅館が多い。鐘崎には県立栽培漁業センターがある。海上安全の神として知られ、秋季大祭の海上神幸で有名な宗像大社や鎮国寺(ちんこくじ)、国指定の史跡桜京古墳(さくらきょうこふん)などがある。皐月松原(さつきまつばら)は白砂青松の景勝地で、海水浴客も多く、県立少年自然の家があり、玄海国定公園に属する。
[石黒正紀]
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玄海
没年:貞和3/正平2.3.17(1347.4.28)
生年:文永4(1267)
鎌倉後期から南北朝時代の真言宗の僧。高野山の密教哲学研究の逸材。和泉国大鳥郡(大阪府堺市)の高志氏出身。13歳で高野山に登り,17歳のとき出家,両部灌頂 を受け密教者として出発。19歳で一院を譲られたほどの俊才ぶりを発揮。次いで伝法灌頂を受けたのち,高野山のみならず,広く真言各派の流儀を習得。さらに三論,法相,天台,華厳などの顕教をも修学し,ついに高野山の全学僧を統括する学頭に就任。後醍醐天皇の知遇を得て真言密教の秘訣を授けるに至り,法印の高位に達した。後年,高野八傑のひとりと讃えられる。玄海は学問のみならず霊的能力にも秀で,不動明王法を修すると彼自身が不動となり,また不動に供奉する3人の童子が出現したと伝えられるなど霊異を語る伝承も多い。著書に『大疏科文』など。弟子に快成がある。
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玄海
げんかい
福岡県北部,宗像市北部の玄界灘に臨む旧町域。1955年田島村,池野村,岬村の 3村と神湊(こうのみなと)町が合体して発足。2003年宗像市と合併。農業地域が広く,米,ミカン,イチゴ,野菜類を産する。北東端の鐘崎を中心に神湊,鐘崎沖合いの地ノ島では漁業も盛ん。宗像神社の辺津宮(2017世界遺産の文化遺産に登録),鎮国寺,さつき松原,鐘ノ岬,桜京古墳(国指定史跡)などの名所旧跡があり,玄海国定公園に属する。国道495号が通じる。
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げんかい【玄海】
[一] 福岡県北部、玄界灘に面する
地名。農業・漁業が主産業。宗像神社がある。
海岸は
海水浴場で、玄海国定公園の一部。
[二] 佐賀県北西部、
東松浦半島西部の地名。景勝とタイ・真珠養殖で知られる
仮屋湾に面する。海岸は玄海国定公園の一部。
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デジタル大辞泉
「玄海」の意味・読み・例文・類語
げんかい【玄海】
佐賀県北西部、玄界灘に面する地名。海岸部は玄海国定公園に指定されている。
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世界大百科事典内の玄海の言及
【玄界灘】より
…九州北西部,福岡・佐賀両県の北にひろがる海域。玄海ともいう。西は壱岐水道,対馬海峡東水道で東シナ海に,東は福岡県宗像(むなかた)郡の大島と九州本土(玄海町)との間の倉良(くらら)瀬戸を通じて響(ひびき)灘に,それぞれ接している。…
※「玄海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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