熊原村(読み)くまはらむら

日本歴史地名大系 「熊原村」の解説

熊原村
くまはらむら

[現在地名]園部町熊原

現園部町の東部を南東に蛇行する大堰おおい川の、半円形に湾曲する部分に抱かれた村。西半分は二〇〇メートル余の山地の東斜面、東半分は川沿い田地よりなる。北は大堰川を境に佐切さぎり村、東は同じく舟枝ふなえだ(現八木町)と対する。南は雀部ささいべ(現八木町)、西は大戸おおど村である。園部藩領。

「丹波志桑船記」によると、当村は舟枝村の南にある山室やまむろ(現八木町)の枝村という。親村の山室村が大堰川対岸にあることについて同書は「往古ハ川ヨリ東ニ在シヲ、大川ヲ東山手ヘ掘替シニ依テ、今ハ西ヘ一村離村ト云、今ハ知人稀ナリ」と、河道の変化によると説明する。

熊原村
くまはらむら

山上やまかみ郷のうちにあり、現大字相谷あいだにの字熊原を遺称地とする。永源寺創建の翌年康安二年(一三六二)九月二日、崇永(六角氏頼)から同寺衆僧時料分として山上郷内熊原村が寄進された(崇永寄進状)。応永元年(一三九四)一二月二九日には本所近衛家からも永源寺へ寄進され(近衛良嗣御教書)、翌二年三月五日には将軍足利義満から寺領安堵の御教書を受けた。同八年には本所代官の段銭賦課や用水相論を構えるなどの違乱が停止され(同年七月一九日室町幕府御教書)、同一三年にも永源寺雑掌の訴えにより本所代官による諸公事段銭の催促が禁じられた(同年一〇月二七日「室町幕府御教書」以上永源寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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