潘岳(読み)ハンガク

デジタル大辞泉 「潘岳」の意味・読み・例文・類語

はん‐がく【潘岳】

[247~300]中国西晋詩人滎陽けいよう河南省)の人。あざな安仁あんじん美男として有名。人の死を悼む哀やるいの文、詩では妻の死を悼んだ「悼亡詩」3首に才を発揮した。

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精選版 日本国語大辞典 「潘岳」の意味・読み・例文・類語

はん‐がく【潘岳】

中国、晉の文人。字は安仁。権勢家、賈謐(かひつ)の門に出入りしたが、讒言にあって誅された。流麗な詩文を書き、亡妻を悼んだ「悼亡詩」は有名。また、美男であったため、美男の代名詞に使われる。(二四七‐三〇〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「潘岳」の意味・わかりやすい解説

潘岳
はんがく
(247―300)

中国、西晋(せいしん)の文人。字(あざな)は安仁(あんじん)。滎陽中牟(けいようちゅうぼう)(河南省中牟県)の出身。幼時奇童といわれ、武帝のとき「藉田(せきでん)の賦(ふ)」をつくり、才名あがり、かえって人に嫉妬(しっと)され野に隠栖(いんせい)すること10年。のち中央の官僚となったが、出世は意のごとくならず、その不満を漏らして、止足(しそく)の分(ぶん)を知り閑居(かんきょ)の生活こそ望ましいと述べたのが「閑居の賦」である。ときに50歳を過ぎていた。若くして政客孫秀(そんしゅう)の恨みを買い、のち一味と乱をなすと讒言(ざんげん)され処刑される。彼は容儀美しいため、洛陽(らくよう)の道を行けば、婦人たちが果物を投げ入れて車がいっぱいになったという。性は軽薄で利に走りやすく権力家賈謐(かひつ)の門に出入する。その詩には感傷的なものが多く、妻の死を悲しんだ「悼亡(とうぼう)の詩」は名高い。『潘岳集』七巻があった。『晋書』55に伝がある。

[小尾郊一]

『興膳宏著『中国詩文選10 潘岳・陸機』(1973・筑摩書房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「潘岳」の意味・わかりやすい解説

潘岳 (はんがく)
Pān Yuè
生没年:247-300

中国,晋の詩人。字は安仁。滎陽(けいよう)中牟(河南省)の人。陸機と並ぶ美文文学大家で,錦を敷きのべたような絢爛(けんらん)たる趣をたたえられた。ことに人の死を悼む哀傷の詩文を得意とし,亡妻への尽きぬ思いをうたった〈悼亡詩(とうぼうし)〉3首はよく知られる。絶世の美男として,また権門の間を巧みに泳ぎまわる軽薄才子として,とかく話題にこと欠かなかった。八王の乱の渦中で悲劇的な刑死を遂げた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「潘岳」の意味・わかりやすい解説

潘岳
はんがく
Pan Yue

[生]延煕10(247)
[没]永康1(300)
中国,西晋の文学者。けい陽 (けいよう) 中牟 (河南省) の人。字,安仁。幼時から神童の名が高く,最初,司空大尉賈充 (かじゅう) の部下となり,その後秀才となって諸官を歴任したが,趙王司馬倫が政権を握ったとき,父の旧部下の孫秀に中傷されて一族もろとも殺された。南方出身の陸機とともに「潘陸」,また甥の潘尼 (はんじ) と「両潘」と並称される。徹底した技巧主義者で,妻の死をいたんだ代表作『悼亡詩』など感覚的な哀傷の詩や,また山水詩にすぐれた作品を残している。非常な美貌の持主として,古来美男子のたとえにしばしば用いられる。

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