滝本誠一(読み)たきもとせいいち

改訂新版 世界大百科事典 「滝本誠一」の意味・わかりやすい解説

滝本誠一 (たきもとせいいち)
生没年:1857-1932(安政4-昭和7)

明治・大正期の経済学者。宇和島江戸藩邸に生まれる。宇和島で中上川彦次郎らから英学を学び,1881年以降,英学教師,ジャーナリストとして活動,開拓事業などにも従事した。この間に独学を重ね,1914年には同志社大教授,19年慶応大講師,20年教授に就任没年まで同大学で講じた。イギリスの経済史家の著作やドイツ歴史学派に関心もち,歴史的実証主義の立場から経済史・経済思想史の研究を行った。なかでも明治以前の経済書を広く収集し,《日本経済叢書》36巻(1914-17),《日本経済大典》54巻(1928-30),《佐藤信淵家学全集》3巻(1925-27)などを編纂(へんさん),日本経済思想史研究の基礎を固めた業績は大きい。主著には,《日本経済学説の要領》(1908),《日本経済史》(1920),《日本経済思想史》(1929)等がある。
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朝日日本歴史人物事典 「滝本誠一」の解説

滝本誠一

没年:昭和7.8.20(1932)
生年安政4.9.27(1857.11.13)
明治大正期の経済史学者。日本経済史学の創成期において日本経済思想史を踏まえた独自の経済史学を提唱。江戸麻布竜土町の宇和島藩邸で生まれた。愛媛県宇和島郡立不棄学校慶応義塾から派遣された中上川彦次郎などについて英学を学び,慶応義塾卒業生の資格を持って和歌山市自修学校の英語教員となる。『東京朝日新聞』の記者に転じ,さらに経済学の研究と応用に興味を持ち,江戸時代以来の日本の経済思想を研究しつつ,開墾事業,編集者などを体験。大正3(1914)年,同志社大学教授,9年慶応義塾大学教授となり日本経済史を担当。社会経済史学会評議員。「学問乞食袋である」を信条とし内外の経済資料の集成と佐藤信淵ら農政家などを日本の経済思想史のなかに位置付けて世に出す努力を生涯継続した。<参考文献>野村兼太郎「滝本博士逝く」(『社会経済史学』2巻6号)

(池上惇)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝本誠一」の意味・わかりやすい解説

滝本誠一
たきもとせいいち

[生]安政4(1857).9.27. 江戸
[没]1932.8.20. 東京
経済学者。 1881年和歌山市自修私学校英語教師となり,新聞記者,雑誌主幹,印刷所経営などを経たのち,1904~14年千葉で開墾事業に従事。 14年同志社大学教授,19年には慶應義塾大学に招かれ講師,翌年教授となり没年まで経済史,経済思想史を講じる。この間東京商科大学 (現一橋大学) ,立教大学,専修大学などの講師,教授を兼任。経済史研究の開拓者の一人であり,日本経済史をはじめヨーロッパ経済史,経済学史などの研究も行なった。著書『日本経済学説の要領』 (1908) ,『日本経済史』 (20) ,『欧州経済史』 (27) ,『経済的帝国論』 (29) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滝本誠一」の解説

滝本誠一 たきもと-せいいち

1857-1932 明治-昭和時代前期の経済史学者。
安政4年9月27日生まれ。愛媛県宇和島の不棄(ふき)学校で中上川(なかみがわ)彦次郎にまなぶ。「東京朝日新聞」記者から雑誌の主筆となる。のち,同志社大教授をへて大正9年慶大教授。大正7年「日本経済叢書」で学士院桂公爵記念賞。昭和7年8月20日死去。76歳。江戸出身。著作に「日本経済史」など。

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世界大百科事典(旧版)内の滝本誠一の言及

【日本経済大典】より

…経済学者滝本誠一の編纂した,平安時代から明治前期に及ぶ法制,経済,農政に関する文献集。とくに江戸期の経世書を網羅している。…

※「滝本誠一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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