溝尻村(読み)みぞじりむら

日本歴史地名大系 「溝尻村」の解説

溝尻村
みぞじりむら

[現在地名]舞鶴市字溝尻・溝尻町・溝尻中町なかまち矢之助やのすけ・矢之助町

祖母谷そぼたに川が舞鶴湾(東湾)に注ぐ下流部右岸にある山麓集落。農業を主とするが若狭街道の宿場でもあった。

集落の南方祖母谷川の谷に沿って北西から南東に走る丘陵に六基の古墳(円墳)が発見されている。なかでも溝尻一号墳からは五体分の人骨と金環が出土した。石室の蓋石と思われる板石が白糸浜しらいとはま神社に現存し、他の石材は西国さいごく橋架橋に利用された。

溝尻村
みぞしりむら

[現在地名]宮津市字溝尻

天橋立で区切られる内海阿蘇あそ海に臨み、西は国分こくぶん村、東は中野なかの村に接する。

大垣おおがきこの神社境内経塚から出土した文治四年(一一八八)年紀をもつ経筒に「南閻浮提大日本国山陰道丹後国 与謝郡拝師郷溝尻村」とみえるのが早い。

近世初期には慶長検地郷村帳にみえる「府中郷」に含まれていたと考えられ、延宝三年郷村帳に「府中溝尻村」高一三四・六五七石と記される。同九年(一六八一)の延高によって二三六石余となった(天和元年宮津領村高帳)外海との往来に不利な条件を負いながらも、沖打網・さげ網・四人網・小網などを使用して漁業につとめた。

溝尻村
みぞしりむら

[現在地名]浮羽町浮羽

耳納みのう山地東部山麓の巨瀬こせ川右岸から筑後川左岸にかけて広がる微高地に位置する。日田街道が通る。正保四年(一六四七)の大小道之帳では吉井よしい(現吉井町)から二八町、山北やまきた村まで一九町三〇間で、この間に新河川(幅一八間・深さ一尺)の渡場があった。文禄四年(一五九五)一二月一日の杉元式知行方目録(萩藩閥閲録)生葉いくは郡「ミそ尻村之内」五一七石三斗八升がみえる。続いて生葉郡「うらかわ村」三七一石四升が記載されるが、比定地は未詳。本高は五七七石余(元禄国絵図)。元禄国絵図作製以後に東西に分村したが(御旧制調書)、その後も溝尻村でみえることがあり、天保郷帳でも溝尻村で高五九五石余。

溝尻村
みぞじりむら

[現在地名]揖斐川町小島こじま

揖斐川右岸、上野うえの村の東にある。天正一八年(一五九〇)一月九日の五ヶ村百姓中検地覚(粟野国雄氏所蔵文書)に村名がみえ、大枡量りの二九四俵二斗四升を京枡で改め、高一一一石余の定米となっている。これより先、天文五年(一五三六)三月日の宮内・玄綱連署請文(龍徳寺文書)にみえる「みそしりかいと年貢銭壱貫文ニうけ申候」とは当地のことか。慶長郷帳では高二六九石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では美濃国奉行岡田善同領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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