海徳寺(読み)かいとくじ

日本歴史地名大系 「海徳寺」の解説

海徳寺
かいとくじ

[現在地名]品川区南品川一丁目

荏原えばら神社の南、目黒川右岸にある。自覚山松陽しようよう院と号し、本尊三宝本尊。日蓮宗開基の鳥海和泉守が松陽院日増に帰依し、大永二年(一五二二)に開創したと伝える寺院で、かつては京都本国(本圀)寺の末寺。寺は鳥海氏の屋敷に建てられたと伝えられ、鳥海氏の菩提寺の性格をもつ(風土記稿)。以前境内から開元通宝・皇宋通宝・永楽通宝などの出土銭があった。寺地は水陸交通の接点にあり、鳥海氏の財力がうかがわれる。日増も鳥海氏の出身と伝えられ、鳥海氏は品川の経済的発展を背景とした商人層の台頭のなかで、一五世紀の半ば以降に北品川の宇田川氏と並ぶ南品川の有力者として成長した。

海徳寺
かいとくじ

[現在地名]尾道市東久保町

浄土寺じようどじ山南西山腹にあり、竜灯山清水院と号し時宗。本尊阿弥陀如来。もと防地ぼうじ川河口東側の三方を海に囲まれた所にあったことから俗に「沖の道場」とも、「沖の浄土」ともいったが、大正一五年(一九二六)焼失、昭和三年(一九二八)現在地に移建。

「芸藩通志」に、建治二年(一二七六)一遍の開基とあり、旧版「広島県史」には弘安七年(一二八四)の開基と記す。

海徳寺
かいとくじ

[現在地名]碧南市音羽町

大浜おおはま街道に沿い、その東側に位置する。南面山天寿てんじゆ院と号し、浄土宗西山深草派に属する。本尊毘盧遮那仏。寛正三年(一四六二)創立で、開山は西演という。明治初年廃仏毀釈のおり、伊勢の菩提山神宮じんぐう寺から晃道が譲り受けて遷座した大仏を本尊とする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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