浅草田町一丁目(読み)あさくさたまちいつちようめ

日本歴史地名大系 「浅草田町一丁目」の解説

浅草田町一丁目
あさくさたまちいつちようめ

[現在地名]台東区浅草五―六丁目

谷中感応寺門前浅草山川やなかかんのうじもんぜんあさくさやまかわ町の西にあり、北から東にかけては日本にほん堤、南は浅草寺割残せんそうじわりのこり屋敷・丹波柏原藩織田氏下屋敷。かつてはどろ町とよばれたという(「守貞謾稿」など)。寛文四年(一六六四)より許可を得ずに町屋が形成され、公役および地頭諸役を勤めた。延宝五年(一六七七)には浅草寺北大門外西側、砂利取場、日本堤際へ家作拡張を願出、宝永元年(一七〇四)に正式に許可され、新地奉行懸りを経て町方支配となった。浅草寺領年貢地。町の規模は北西に続く浅草田町二丁目と合せて東西南方が約五八間、中ほどが約二三間、北方が約二一七間。南北東方が約一〇六間半、中ほどが約三九間、西方が約六七間、屋敷反別三町三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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