浅浦村(読み)あさうらむら

日本歴史地名大系 「浅浦村」の解説

浅浦村
あさうらむら

[現在地名]鹿島市大字三河内みかわち上浅浦かみあさうら中浅浦なかあさうら下浅浦しもあさうら

鹿島川の支流くろご川を挟んで南北に細長い集落をなす谷間の村。慶長絵図に「浅浦 恒広つねひろノ内」とある。

浅浦の大部分は天正五年(一五七七)に嬉野元可が竜造寺隆信・政家父子から知行を許された土地で、次のような文書が、現在嬉野重春氏宅に残る。

<資料は省略されています>

この時代、浅浦村は鳥坂とさか(現藤津郡塩田町)の中に含まれていたのであろう。

村の中央部にある元光げんこう寺には、人型をした嬉野元可の墓(自雲元可居士、寛永三年四月一五日の銘)があり、肖像画も残る。境内には有田の町人経済学者正司考祺が天保二年(一八三一)に書き記した「元可神碑」が立てられている。浅浦村は幕末までその大部分を嬉野氏が所有したが、享和元年(一八〇一)写の御領中郡村附によると、平山ひらやま村・味島あじしま村・馬場下ばばしも(以上現藤津郡塩田町域)を含み、万延元年(一八六〇)改の郷村帳によると、さらに鳥坂村を含んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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