浄厳院(読み)じょうごんいん

精選版 日本国語大辞典 「浄厳院」の意味・読み・例文・類語

じょうごん‐いん ジャウゴンヰン【浄厳院】

滋賀県蒲生安土町にある浄土宗の寺。山号金勝山。天正年間(一五七三‐九二織田信長創建開山は明感。本尊は阿彌陀座像(国重文)。慈恩寺

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日本歴史地名大系 「浄厳院」の解説

浄厳院
じようごんいん

[現在地名]安土町慈恩寺

慈恩寺じおんじ集落の北西にある。金勝山慈恩寺浄厳院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来近世、浄土宗近江一国の本寺。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔創建〕

もともとは浄厳坊隆尭栗太くりた金勝こんぜ(現滋賀県栗東町)東坂ひがしさかに結んだ草堂(のちの阿弥陀寺)前身。天正五年(一五七七)、金勝に鷹狩をした織田信長は阿弥陀寺に休憩して住僧応与明感を知り、安土に一寺を開き、明感を移らせた。このとき寺地に六角氏菩提寺であった慈恩寺の跡地をあて、多賀たが(現滋賀県近江八幡市)興隆こうりゆう寺弥勒堂を移して本堂とし、本尊は愛知えち郡から丈六阿弥陀如来坐像を遷座して、現在の寺号・山号に改めたという(「蒲生郡志」など)。明感は移寺の際、阿弥陀寺にあった開山隆尭書写の聖教類(「善導寺御消息」「神子問答抜書」「慈巧上人修行記」など)や数多くの什物も移している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浄厳院」の意味・わかりやすい解説

浄厳院
じょうごんいん

滋賀県近江八幡(おうみはちまん)市安土町慈恩寺(あづちちょうじおんじ)にある浄土宗の寺。正称は金勝山(こんしょうざん)慈恩寺浄厳院。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。室町時代、第1世浄厳房隆堯(りゅうぎょう)は比叡山(ひえいざん)に学んだのち金勝山に庵(いおり)を結び、念仏を行じたのに始まる。その庵を浄厳房といったが、第3世宗真のとき、豪族佐々木高頼(たかより)の帰依(きえ)を得て、阿弥陀寺と称する。これが当寺の前身である。浄厳房明感(みょうかん)は織田信長の帰依を受け、信長は安土築城に際し、阿弥陀寺を安土に移し、1577年(天正5)明感をこれに請じた。したがって明感を当寺の開山とする説もある。1579年信長の命により、当寺において浄土宗と日蓮(にちれん)宗の間で宗論(安土宗論)が行われたことは有名。本堂のほか、本尊阿弥陀如来坐像(ざぞう)、絹本着色山王権現(さんのうごんげん)像などが国の重要文化財に指定されている。

清水 乞]


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