信長公記(読み)しんちょうこうき

精選版 日本国語大辞典 「信長公記」の意味・読み・例文・類語

しんちょうこうき シンチャウコウキ【信長公記】

近世初頭の軍記。一六巻。太田牛一著。慶長三年(一五九八成立織田信長の事績を、その右筆であった筆者が編年的に記したもの。これをもととしたものに、小瀬甫庵の「信長記」がある。のぶながこうき

のぶながこうき【信長公記】

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デジタル大辞泉 「信長公記」の意味・読み・例文・類語

しんちょうこうき〔シンチヤウコウキ〕【信長公記】

近世初期の伝記。16巻。太田牛一著。慶長3年(1598)ごろまでに成立。織田信長の1代を編年体で記したもの。のぶながこうき。→信長記しんちょうき

のぶながこうき【信長公記】

しんちょうこうき(信長公記)

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改訂新版 世界大百科事典 「信長公記」の意味・わかりやすい解説

信長公記 (しんちょうこうき)

太田牛一が〈日記〉に基づいて記録した織田信長の軍記。16巻16冊。1568年(永禄11)信長上洛以前の行動を記述した首巻1巻と上洛以後の行動を記録した15巻とから成る。15巻の部分には慣例上《原本信長記》と称される写本があり,良質の史料とされてきたが,この書は岡山大学池田家文庫蔵《信長記》15巻15冊で,牛一の自筆を含む善本であり,重要文化財に指定されている。《信長公記》と《原本信長記》との成立事情は必ずしも明らかではないが,前者は記事が豊富であり,首巻を伴っているので一般には利用度が高い。なお小瀬甫庵(おせほあん)の《信長記》は太田牛一の書に基づき自己の見解を交えて述作されたものである。《信長公記》の活字本には町田久成所蔵本による《我自刊我書》本,《史籍集覧》本,《戦国史料叢書》本と,陽明文庫所蔵本による角川文庫本とがあるが,両系統にほとんど差異はない。なお異本に属する加賀藩士旧蔵尊経閣所蔵本も首巻部分が活字に付されている。
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日本歴史地名大系 「信長公記」の解説

信長公記
しんちようこうき

別称 信長記・安土記・安土日記 一六巻一六冊 太田牛一著

成立 江戸初期

版本 岐阜県立図書館

写本 国会図書館・東京大学史料編纂所ほか

解説 首巻では「是は信長御入洛なき以前の双紙なり」として、信長の吉法師時代より筆を起こし、尾張美濃情勢などを記す。巻一以下では、永禄一一年から天正一〇年までの一五年間の事跡を一年一冊にまとめている。各巻頭に小見出しがある。

活字本 改定史籍集覧一九・戦国史料叢書・角川文庫・教育社新書

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「信長公記」の意味・わかりやすい解説

信長公記
しんちょうこうき

「のぶながこうき」とも読む。別名『安土記』『信長記』。安土桃山時代の軍記。 16巻。織田信長,のち豊臣秀吉の右筆太田和泉守資房 (牛一) 著。慶長5 (1600) 年頃成立。首巻は信長の幼少時の織田家,尾張,美濃およびその周辺の政情,永禄 11 (1568) 年上洛するまでの信長の経歴を記し,第1~15巻は,上洛後から天正 10 (82) 年までの信長の事績を編年体で記述し1年を1巻に収めたもの。全体を通して誤りもあるが,信長およびその家臣の伝記史料としてよく使われる。写本が数種類ある。なお『史籍集覧』に収める『信長記』 (15巻) は慶長 16 (1611) 年小瀬甫庵がこの『信長公記』の一部を書直したもの (22刊) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「信長公記」の解説

信長公記
しんちょうこうき

「のぶながこうき」とも。現存諸本の多くは外題を「信長記」としているが,小瀬甫庵(おぜほあん)の「信長記」と区別するため「信長公記」と通称される。足利義昭を奉じて上洛してから本能寺で横死するまでの織田信長15年間の覇業を,1年1巻の体裁で記述した軍記。15巻本と上洛以前を描く首巻を添えた16巻本がある。信長と豊臣秀吉に仕えた太田牛一(ぎゅういち)の著。1598年(慶長3)頃までに原形成立か。とりわけ15巻は史料的価値の高い実録であり,牛一によれば,日記のついでに書き記したものを基礎にして編述したという。「天道恐敷(おそろしき)次第」として,歴史の推移に因果の道理が認められることを強調している。池田本・建勲神社本は重文。「角川文庫」「戦国史料叢書」所収。

信長公記
のぶながこうき

信長公記(しんちょうこうき)

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百科事典マイペディア 「信長公記」の意味・わかりやすい解説

信長公記【しんちょうこうき】

〈のぶながこうき〉とも読み,《安土記》とも。織田信長の右筆(ゆうひつ)太田牛一(ぎゅういち)の著。16巻。1568年信長入京より1582年の本能寺の変までの信長の一代記。これをもとにしたものに小瀬甫庵(おせほあん)著《信長記》15巻(1622年)がある。
→関連項目軍記

信長公記【のぶながこうき】

信長(しんちょう)公記

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旺文社日本史事典 三訂版 「信長公記」の解説

信長公記
しんちょうこうき

安土桃山時代,太田資房 (すけふさ) (牛一)の著した織田信長の伝記
「のぶながこうき」とも読む。別名『安土記』。1600年ころ完成。16巻。信長に仕えて戦功のあった太田資房が,信長の入洛以前を首巻とし,1568年から'82年本能寺の変まで1年1巻,月日をおって信長の事歴を記述した好史料。

信長公記
のぶながこうき

しんちょうこうき

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世界大百科事典(旧版)内の信長公記の言及

【太田牛一】より

…安土桃山時代の武士,軍記作者。尾張の人。通称又助。織田信長に仕えて戦功をあげ,近江の奉行,さらにその死後豊臣秀吉のもとで検地奉行,蔵入地代官などを務める。晩年は軍記の著述に専念し,1610年(慶長15)84歳に至っても述作に励んでいたことが確認できる。著作として《信長記》《大かうさまくんきのうち》《関ヶ原御合戦双紙》《今度之公家双紙(《猪隈物語》)》《豊国大明神臨時御祭礼記録》などがある。【久留島 典子】…

【覚書】より

…戦国時代や安土桃山・江戸時代初期に多く記録されている。聞書,留書,置文,書上などの形をとることが多いが(《渡辺勘兵衛武功覚書》など),現在はむしろ文学作品として扱われている覚書も多い(《信長公記》《三河物語》など)。筆者には,文筆に秀でた御伽衆(おとぎしゆう)などの武士が多い。…

※「信長公記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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