法専寺(読み)ほうせんじ

日本歴史地名大系 「法専寺」の解説

法専寺
ほうせんじ

[現在地名]大宮町東野

東野とうの集落南西に位置し、たま川西側の山の北東斜面にある。楢原山法徳院と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来

寛文三年(一六六三)開基帳(彰考館蔵)に「京東本願寺末寺 慶長七年之御縄之時内藤修理見捨 一、高壱石六斗三升七合 太子山法徳院法専寺 開基孝正弘長二年より当卯迄四百弐年ニ申伝候 百性旦那六拾人 寺内坊主三人 一、従跡 御目見仕候」とある。開基は寺伝では明法房とする。寺の近くに楢原ならはら塚と称する古塚があり、「新編常陸国誌」に「親鸞ノ弟子播摩国出生明法房本村法専寺開基ノ僧ナルヤ、此ニ住シ、建長三年十月十三日死ス、因テ此ニ葬ル」とある。

法専寺
ほうせんじ

[現在地名]甲奴町有田

有田ありだの北、抜湯ぬくゆ川ほとりの街道沿いにある。浄教山と号し浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。古く三谿みたに志幸しこう(現三次市)立泉りゆうせん寺末であった。寺伝によれば、元亀元年(一五七〇)加藤石見守宗重なる者の開基で、木屋きや(現総領町)創建

法専寺
ほうせんじ

[現在地名]下関市大字吉田地方

吉田よしだの南部埴生口はぶぐちにある。浄土宗で玉雲山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、南北朝時代の禅宗の名僧仏心慧燈の仮住いであったといわれる川久保の仏心かわくぼのぶつしん寺を起りとし、寛文四年(一六六四)領主山内広通の室帰命院が開基となり霊誉を開山として一宇建立、寺号を法専寺と称するようになったという。のち浄土宗に改めた。

近世、山内采女より知行高二〇石、除高二石一斗余を受けており、境内には観音堂・弁財天社があった(注進案)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典 日本の地域遺産 「法専寺」の解説

法専寺

(愛知県岡崎市稲熊町5-19)
ふるさとの森指定の地域遺産。
面積1,080【m2

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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