汪中(読み)おうちゅう

精選版 日本国語大辞典 「汪中」の意味・読み・例文・類語

おう‐ちゅう ワウ‥【汪中】

中国、清代の学者。字(あざな)は容甫。江蘇江都の人。古典考証業績を残し、また、駢文(べんぶん)をよくした。著「述学内外編」「広陵対」など。(一七四五‐九四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「汪中」の意味・わかりやすい解説

汪中
おうちゅう
(1744―1794)

中国、清(しん)代の学者、文章家。字(あざな)は容甫(ようほ)、江蘇(こうそ)省江都の人。1777年(乾隆42)の貢生。家が貧しく、書店に雇われて働きながら経学に専念した。母に仕えて至孝であり、仕官の意なく畢沅(ひつげん)の幕下に入ったことがあるぐらいのものである。当時の大学者銭大昕(せんたいきん)、段玉裁(だんぎょくさい)、王念孫(おうねんそん)、孔広森(こうこうしん)(1752―1786)らはその師友であり、その学識は高く評価されていた。『尚書考異』『春秋述義』などのほか荀子(じゅんし)や墨子(ぼくし)の研究に手を染め、諸子学研究の先駆者でもあった。文は漢魏六朝(かんぎりくちょう)を範とし、駢文(べんぶん)家として聞こえている。

佐藤一郎 2016年3月18日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「汪中」の意味・わかりやすい解説

汪中
おうちゅう
Wang Zhong

[生]乾隆9(1744)
[没]乾隆59(1794)
中国,清の学者。江蘇省江都の人。字,容甫。7歳で父を失い苦学を続け,20歳で江都県学付生となった。その後文筆を頼りに各地を旅行し,朱 筠 (しゅいん) ,王念孫らと交わって,考証学に目を開いた。やがて江蘇提学使に認められ貢生となったが,母が老身だったので仕官はせず,学問著述にうちこんだ。晩年は『四庫全書』の校定に従事し,その仕事中に急死した。孝心,友情の深い人柄であったが,一面,一本気で妥協性がなかったため,狂人扱いされたこともある。古典の考証研究に最も力を入れ,『述学』内外編がその代表的著述で,また久しく無視されてきた『墨子』を再評価するなどした。文章にもすぐれ,大火のありさまを描いた『哀塩船文』,妓女をいたむ『経旧苑弔馬守真文』などが傑作とされる。ほかに『広陵対』『広陵通典』『釈服解義』『墨子序』など。

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改訂新版 世界大百科事典 「汪中」の意味・わかりやすい解説

汪中 (おうちゅう)
Wāng Zhōng
生没年:1745-94

中国,清代の学者。江蘇省江都県の人。字は容甫。詩文では駢文(べんぶん)の名手として知られ,また考証にも長じていたが,瑣末な訓詁考証にとらわれず,斬新な見解を示した。《墨子序》では,2000年来異端として排斥されていた墨子を孔子と並列してもちあげ,《老子考異》では,老子を孔子より後の人とするなど,後世の古代思想研究に大きな影響を与えた。その主な著述は《述学内外篇》に収録。
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百科事典マイペディア 「汪中」の意味・わかりやすい解説

汪中【おうちゅう】

中国,清代の考証学者。江蘇省江都県の人。7歳で父を失い,家貧しく書店より借覧して学問した。天才肌,傲慢(ごうまん)で人と合わず,終生仕官せず。墨子を賛美して宋学に反対し,古典の考証研究に業績をあげた。晩年は四庫全書の校正に従事,漢魏六朝の文に範をとり,清代第一級の駢文(べんぶん)作家(四六駢儷体(べんれいたい))であった。著書《述学》。

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