江西派(読み)こうせいは

精選版 日本国語大辞典 「江西派」の意味・読み・例文・類語

こうせい‐は カウセイ‥【江西派】

〘名〙
中国南画の一派。中国、明末清初の画家羅牧を祖とし、江・淮の間に行なわれたもの。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「江西派」の意味・わかりやすい解説

江西派
こうせいは

中国、宋(そう)代の詩派。江西詩派、江西宗派ともいう。この名称は、呂本中(りょほんちゅう)が禅の宗派に倣って「江西詩社宗派図」をつくり、黄庭堅(こうていけん)ら25人をまとめて江西詩社と称したのに始まる。江西は黄庭堅らの出身地。この派は唐の杜甫(とほ)を祖として学ぶことを旗印とし、黄庭堅、陳師道(ちんしどう)、陳与義(ちんよぎ)を杜甫の後継者とみて、一祖三宗と称した。南宋初期に盛んに江西派が唱えられ、同派の詩集『江西詩派』137巻、『続派』13巻が編集されたというが、いまは伝わらない。彼らは「点鉄成金(てんてつせいきん)」を目標に、刻苦して詩をつくったが、その詩に、苦渋陰暗な気分が支配的であるのは、国土のなかばを失った時代の反映であろう。しかし一方では、小さな趣味の淡泊な詩も多い。

[横山伊勢雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江西派」の意味・わかりやすい解説

江西派
こうせいは
Jiang-xi-pai

中国,清初の文人画の一支派。江西省南昌に寓居した羅牧を祖とする。羅牧は墨色豊かでやや幻想的な画面作り,その影響は江南一帯に根強かった。明末,清初の他の画派とは異なり,この派の画家は血縁で結びついていない。

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世界大百科事典(旧版)内の江西派の言及

【宋詩】より

…秦観,陳師道,文同(字は与可)らがあげられるが,黄庭堅(山谷)は詩人として蘇軾と匹敵する。点鉄成金,換骨奪胎と称して,古人の詩句を自在に活用する手法を駆使して,宋詩の主知主義を極限まですすめ,多くの模倣者を出し,江西派という詩派を作りだす。 南北宋過渡期の陳与義(1090‐1138)は,激動の中で唐詩の抒情性への回帰が見られ,この傾向は南宋の三大家と呼ばれる陸游,范成大,楊万里に引き継がれた。…

【限界ゲージ】より

…機械部品の寸法が,許容できる誤差の範囲内に入っているかどうかを検査するためのゲージ。機械の製造は多数の部品に分け,それぞれ独立に加工し組み立てている。製造数が少数の場合は,組立てのとき部品が合わなければ寸法の狂いを修正して組み上げることができる。中・多量生産になると,まったく独立に加工した多数の部品の中から任意に抜き取り,そのまま組み立てることができることが望ましい。また,一部品が破損して交換するとき,単にはめかえただけで組み立てられることが望ましい。…

【中国文学】より

…彼らの詩の晦渋なスタイルは宋詩の特色の一つである。南宋に入って黄庭堅の追随者たちは〈江西派〉とよばれるが,それは文学上の流派を意識して作った最初である。 3人と同じ時代の蘇軾(東坡(とうば))は軽快なリズムの詩を作った点で対照的である。…

※「江西派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」