江崎村(読み)えさきむら

日本歴史地名大系 「江崎村」の解説

江崎村
えさきむら

[現在地名]田万川町大字江崎

阿武郡の北端にあって、日本海に面する海岸の村。東は下田万しもたま村、西を須佐すさ(現須佐町)などと接する。湾入する江崎港は東西を山に囲まれる良港。奥阿武宰判に属した。

「注進案」は村内にある西堂さいどう寺の由来を記すなかで、「石見国益田町勝達寺権現社に唯今有之」という応永三年(一三九六)の古鐘銘に「長州阿武郡多万郷江津村済渡寺」とあることを記すが、済渡さいど寺が西堂寺の前身と伝えることから、中世は多万たま郷内の江津えづ村であったと考えられる。同書はまた、古くは江津の湊と称し、「阿武郡拾八郷の御米を此湊へ出し、是より若狭の国へ積参り」との伝えを記す。地名の由来を同書は「益田河内(景祥)様此所へ御田屋被仰付候節、当浦のもの共下田万村の内湊と申所に居住仕候を此所へ召寄らせ、然処に須佐村の内大江津と申小村有之、地名紛れ申と御座候入江の崎に有之浦故江崎と御改被成候由申伝候」と記す。

江崎村
えざきむら

[現在地名]山口市大字江崎・大字深溝ふかみぞ

椹野ふしの川が流れ込む山口湾の西側にあり、北は嘉川かがわ村、南は佐山さやま村。村の西北を山陽道が通る。小郡宰判所属。

江戸時代中期頃までは嘉川村の内に含まれたが、延宝二年(一六七四)の大渡開作などの完成によって大村となり、享保一二年(一七二七)に分村した。「注進案」に初めて江崎村として、田畠数三三七町、総石高四千七九八石余が記載される。うち蔵入が三千七一石余、給領総高は一千七二六石余で佐世石見・志道隼人・和智昌之助ら七人が分けて知行。

江崎村
えざきむら

[現在地名]北淡町野島江崎のじまえざき

現北淡町の北端近くにある。北・北西は海(明石海峡)に面し、背後には北から南へ数百メートルの山並が走り、山裾が海浜まで急勾配で下りている。海岸沿いを西浦にしうら街道が通る。「島津家久上京日記」天正三年(一五七五)四月一四日条には「淡ち島の方江さきといへる処に舟かゝり仕、やかて出舟有」とみえ、高砂から兵庫津へ向かい明石海峡を通過する家久が一時立寄っている。同一四年一一月三日の羽柴秀吉知行方目録に「ゑさき」とあり、高九四石余、脇坂安治領となっている。

江崎村
えさきむら

[現在地名]大垣市江崎町・安井町やすいちよう早苗町さなえちよう住吉町すみよしちよう恵比寿町えびすちよう恵比寿町南えびすちようみなみ恵比寿町北えびすちようきた長井町ながいちよう鹿島町かしまちよう旭町あさひまち大池町おおいけちよう羽衣町はごろもちよう花園町はなぞのちよう二葉町ふたばちよう

新規しんき川左岸付近の平坦地、大垣輪中の東部に位置し、南東はいぬふち村。江戸・江渡とも記すが、慶安三年(一六五〇)江渡村を江崎村と改称(座右秘鑑)。江戸時代を通じて大垣藩領。慶長郷帳に江戸村とみえ、村高三五三石余。正保郷帳には江崎村と記され(岩瀬文庫本正保郷帳では江渡村)、田高三〇三石余・畑高五三石余。貞享二年(一六八五)の大垣領村々高帳では高四五九石余。

江崎村
えさきむら

[現在地名]大和町六合ろくごう

西津留にしづる村の北、矢部やべ川下流右岸にある。古くは内海(有明海)に面していたらしい。「源平盛衰記」巻二五奏吉野国栖事)には奏の起源として、即位以前の天智天皇が西国において乞食の修行をした際、「筑後国、江崎、小佐島」で海人から魚、腹赤)を与えられて疲れをいやし、即位後は必ず供御に召すと約したという逸話を載せている。元和七年(一六二一)の郡村帳に江崎村とみえ、玄蕃高一五二石余・新田高一九石余、小物成は葭野年貢米四斗。宝暦二年(一七五二)の蒲池組・御城下八ヶ村・垂見組御年貢開並拝領開御目録(伝習館文庫)によれば立花四兵衛拝領の三反余・高三石余の地、大村十太夫拝領の五反余・高五石余の地が桑原仙左衛門に売渡されていた。

江崎村
えさきむら

[現在地名]岐阜市江崎

長良川左岸、鏡島かがしま村の南西に位置。集落は堤の東側にあり南北に長い。慶長郷帳に村名がみえ、高五六九石余。正保郷帳では畑五五三石余・野年貢一〇石・川年貢五石。江戸時代を通して加納藩領。同藩は寛永一二年(一六三五)の内検で村高四一四石余としたが、その後、再墾地が明暦二年(一六五六)・延宝五年(一六七七)・貞享二年(一六八五)・宝永三年(一七〇六)などに検地され、幕末には高六二一石余となった(旧高旧領取調帳)

江崎村
えさきむら

[現在地名]門前町江崎

二又ふたまた村の南、みなみ川上流の山地に立地。五輪田ごりんだ胡麻屋敷ごまやしき堂巡田どうじゆんだの地名が残り、古寺があったとみられる。またかなくその通称地名も残る。正保郷帳では高五七石余、田方二町七反余・畑方一町一反余。承応三年(一六五四)の村御印の高六二石余、免四ツ四歩(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高六九石、免五ツ、小物成は山役五四匁、鍛冶炭役五匁(出来)であった(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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