江口・江口宿(読み)えぐち・えぐちのしゆく

日本歴史地名大系 「江口・江口宿」の解説

江口・江口宿
えぐち・えぐちのしゆく

淀川本流から三国みくに(現神崎川)が分岐する地点にあった水上交通の要所。現在の東淀川区の東端江口付近にあたる。当地を「日本書紀」「続日本紀」など奈良時代以前の史料にみえる「江口」にあてる説があるが、近年では現福島区福島一丁目付近とする説が有力(福島区の→上福島村

当江口の地が急速に発展し始めるのは、延暦四年(七八五)淀川と三国川との間に新川を掘って水路で結ぶ工事が行われてからである。三国川は、もとは淀川とは別の流れで、およそ現在の安威あい川の下流にあたる水路であった。ところが、この改修工事によって淀川と三国川が連結されると、江口の地は平安京から山陽・西海両道へいく道と南海道方面へいく道とに分れる交通の要衝としての位置を占めるに至った。とくに平安中期以降、紀州熊野・高野山、あるいは四天王寺(現天王寺区)・住吉社(現住吉区)参詣などが盛行し、また庄園制が発展して貴族・権門寺社などの庄園領主と現地の人間・物資の交流・輸送がますます頻繁になってくると、往来の途次、江口に宿泊する者が激増してきた。そして、江口宿には、その往来宿泊の客を対象として多数の遊女が集まり、神崎かんざき(現兵庫県尼崎市)蟹島かしま(現淀川区)などと並んで色里として繁栄していった。大江匡房は「遊女記」において、淀川の分流地点に位置する江口は山陽・西海・南海の三道を往返する者は必ずここを通り、神崎・蟹島とともに「比門連戸、人家無絶」き宿場であり、倡女(遊女)が群をなして小舟に乗って旅船に近づき、大声でよびかけ旅人の一夜の枕席にはべると記し、その客となる者は、上は卿相より下は庶民にまで及ぶとし、「天下第一之楽地也」と評している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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