氷川(読み)ひかわ

改訂新版 世界大百科事典 「氷川」の意味・わかりやすい解説

氷川[町] (ひかわ)

熊本県中部,八代郡の町。2005年10月宮原(みやはら)町と竜北(りゆうほく)町が合体して成立した。人口1万2715(2010)。

氷川町南部の旧町。八代郡所属。人口5004(2000)。東部は九州山地西端に位置する山地,丘陵で,西部は八代平野の一角を占め,国道3号線が山寄りを南北に走り,さらに,その東側を九州縦貫自動車道が通る。古墳が多く,熊本県では最も早くから開けた地と推定されている。中心集落の宮原は氷川左岸の谷口集落で,江戸時代には薩摩街道宿場町,三神宮の門前町として栄えた。東部の五家荘など山間地への交通の要地でもあり,商業が発達している。産業の中心は農業で,西部の低地ではイグサと米,山寄りの地域では晩白柚(ばんぺいゆ)など,かんきつ類の栽培が盛んである。渓谷美で知られる氷川の立神(たてがみ)峡には鍾乳洞もあり,五木五家荘県立自然公園に含まれている。

氷川町中北部の旧町。八代郡所属。人口8721(2000)。町名は,八代市北西部にある竜峰山(517m)の北方に位置することにちなむ。八代平野北端に位置し,北西は八代海に面する。南東部に丘陵が分布するほかは沖積地,干拓地が開け,南西境沿いを氷川が北西流する。丘陵地帯を九州自動車道,丘陵と平野との境を国道3号線,平野部をJR鹿児島本線が並行して走っている。農業が主産業で,この地方特産のイグサの栽培や米,イチゴのほか,南東部の丘陵地ではミカンナシの栽培が行われている。また,イグサを原料にした畳表の製造も盛ん。八代市などへの通勤者も多い。丘陵地帯には西平貝塚,大野窟(おおのいわや)古墳,野津古墳群などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「氷川」の意味・わかりやすい解説

氷川
ひかわ

東京都西多摩(にしたま)郡奥多摩町の中心地区。旧西多摩郡氷川町。1955年(昭和30)古里(こり)、小河内(おごうち)2村と合併して奥多摩町となる。鎮守の奥氷川神社が地名の由来。多摩川の上流部、支流日原(にっぱら)川との合流点付近を占める。江戸時代は青梅(おうめ)街道の宿(しゅく)駅で、現在、JR青梅線の終点、奥多摩駅(1971年氷川駅から改称)があり、木組みの駅舎は関東の駅百選に選定(1998)されている。秩父多摩甲斐国立公園(ちちぶたまかいこくりつこうえん)に属する観光地である。

[沢田 清]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「氷川」の意味・わかりやすい解説

氷川
ひかわ

東京都西部,奥多摩町の中心地区。江戸時代には天領で,山と里を結ぶ物資集散地であった。 1955年までの旧町名で,JR青梅線の終点,奥多摩駅の旧駅名でもある。

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世界大百科事典(旧版)内の氷川の言及

【奥多摩[町]】より

…北西端に東京都最高峰の雲取山(2018m)があり,大半は秩父多摩国立公園の区域に含まれる。中心集落の氷川は多摩川と日原川の合流点にあり,江戸時代に甲府に至る青梅街道の要地であった。1944年に青梅線が氷川まで開通,72年氷川駅を奥多摩駅と改称した。…

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