奥多摩町(読み)オクタママチ

デジタル大辞泉 「奥多摩町」の意味・読み・例文・類語

おくたま‐まち【奥多摩町】

奥多摩

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「奥多摩町」の解説

奥多摩町
おくたままち

面積:二二五・六三平方キロ

都の北西端に位置し、北部は埼玉県秩父郡大滝おおたき村・荒川あらかわ村・名栗なぐり村、同秩父市、東部は青梅おうめ市・あきる野市、南東部は檜原ひのはら村、南西部は山梨県北都留きたつる小菅こすげ村・丹波山たばやま村に接する。関東山地の一角に立地し、面積の九四パーセントは山林で、北西境にある雲取くもとり(二〇一七・一メートル)を最高位に南東方に向かって低くなるが、酉谷とりだに山・天祖てんそ山・鷹ノ巣たかのす山・じよう山・榧ノ木かやのき山などの高山が続き、四境はすべて山地である。これらの山々から谷を下る峰谷みねだに川・日原につぱら川・大丹波おおたば川・栃寄沢とちよりさわ川・海沢谷うなざわだに川などを合せて、南部を奥多摩湖(小河内ダム、この上流は丹波川)から流れ出る多摩川が東流する。耕地や集落は多摩川両岸の河岸段丘や谷々沿いの平地・緩傾斜地に形成されている。

〔古代・中世・近世〕

町域東部の白丸しろまるに縄文時代早期より同後期にわたる住居跡が発見された白丸西の平しろまるにしのたいら遺跡がある。この西の氷川ひかわにある登計原とけつぱら遺跡でも縄文時代の住居跡が発掘されている。両遺跡では平安時代の竪穴住居跡もみられる。令制下では多摩郡のうち。町域の中世をうかがわせる板碑は計一三三基が確認されている。うち紀年銘の上限は正応二年(一二八九)、下限は永正三年(一五〇六)、その大半は一四世紀半から一五世紀半のもので、多摩川沿いの川井かわい・海沢・氷川などの集落および日原川・大丹波川流域の小集落にも造立されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奥多摩町」の意味・わかりやすい解説

奥多摩〔町〕
おくたま

東京都北西端にある町。東は青梅市,あきる野市に,北は埼玉県,西は山梨県に接する。町域の大部分が関東山地に属する山岳地帯で,西端に都内最高峰の雲取山 (2017m) がそびえる。 1955年氷川町と古里 (こり) 村,小河内 (おごうち) 村が合併し成立。多摩川,日原 (にっぱら) 川の合流点付近に形成された中心地区の氷川は青梅街道沿いにあるので比較的早くから開け,宿場町として発達し,現在は JR青梅線の終点奥多摩駅がある。林業と山地農業が主産業で,石灰石も採掘される。日原鍾乳洞,奥多摩湖,鳩ノ巣渓谷などがあり,観光,登山,キャンプ客が多い。小河内の鹿島踊重要無形民俗文化財。町全域が秩父多摩甲斐国立公園に含まれる。面積 225.53km2。人口 4750(2020)。

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