橘知宣(読み)たちばなのとものぶ

朝日日本歴史人物事典 「橘知宣」の解説

橘知宣

生年生没年不詳
鎌倉初期の西園寺家家司伯家の兼康王の3男で,橘以実の養子となる。西園寺家に仕えた経緯は不明だが,元久2(1205)年には西園寺実宗の前駆として名前がみえる。その後,西園寺公経の下で周防国目代を務めたり,公経が後院庁別当に任じられると鳥羽殿の経営をまかされるなど,同家の所領経営にたずさわった。また寛喜2(1230)年には法成寺の修理を担当しているが,たちまちのうちに用材を集めて,仕事をやり遂げたといわれている。その子孫は代々西園寺家に仕えて力を貯え,鎌倉末期以降は公卿に列するようになる。南北朝期には修理職木工寮の業務と利権を掌握し,朝廷の作事を担当した。<参考文献>五味丈彦『武士文士中世史』,桜井英治「三つの修理職」(『遥かなる中世』8号)

(本郷恵子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘知宣」の解説

橘知宣 たちばなの-とものぶ

?-? 鎌倉時代公家
西園寺家の家司(けいし)。若狭守(わかさのかみ),刑部権大輔(ごんのたいふ)などを歴任。寛喜(かんぎ)2年(1230)法成(ほうじょう)寺の修理を担当した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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