朝日日本歴史人物事典 「梅ケ谷藤太郎(初代)」の解説
梅ケ谷藤太郎(初代)
生年:弘化2.2.9(1845.3.16)
明治期の力士。15代横綱。筑前国(福岡県)上座郡志波村生まれ。本名小江藤太郎。文久3(1863)年大坂相撲の湊の門に入り,大関となる。明治3(1871)年上京,番付外で取らされるなど冷遇されながらも,12年大関に昇進,17年横綱に推された。同年3月の天覧相撲を化粧まわしを買い揃えることができないからと辞退したが,伊藤博文の援助により土俵入りを果たした。176cm,105kg。無類の怪力,相手にまわしを与えない堅実無比の取り口で,初土俵以来157勝14敗。58連勝(史上3位)がある。18年引退して雷を襲名,高砂浦五郎(初代)と共に協会取締に選ばれ相撲興隆に尽力。常陸山,梅ケ谷(2代)両横綱による相撲黄金期を招来,42年には当時東洋一といわれた両国国技館を建設した。梅ケ谷(2代)ほか多くの幕内力士を育て雷部屋を一代で大部屋にした。のち雷の名跡を梅ケ谷(2代)に譲り,人格も優れていたので晩年は大雷と尊敬された。
(木村庄之助28代)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報