桑折西山城跡(読み)こおりにしやまじようあと

日本歴史地名大系 「桑折西山城跡」の解説

桑折西山城跡
こおりにしやまじようあと

[現在地名]桑折町万正寺

桑折市街地の北西約一キロ、奥羽山脈から東に延びた高館たかだて(一九三・一メートル)に立地。国指定史跡。山麓の北と東をうぶさわ川が流れ、稜線上には東から高館・なか館・西にし館、南に折れて常陸ひたち館とよばれる郭跡が続く。現在西山城・高館城とも通称されるが、記録類には応永(一三九四―一四二八)の頃には赤館とみえ天文(一五三二―五五)以降西山城として登場する。文治五年(一一八九)伊達郡を与えられた常陸入道念西(のちの伊達朝宗)が築城したとも伝えるが(信達二郡村誌)、不詳。「喜連川判鑑」応永九年九月条に「赤館」とみえ、関東府に反抗を続ける伊達氏九代政宗は当城に立籠り、追討軍の大将関東管領上杉氏憲と戦い、いったんは追返したが、ついに敗れ退散した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「桑折西山城跡」の解説

こおりにしやまじょうあと【桑折西山城跡】


福島県伊達郡桑折町万正寺にある、12世紀から16世紀にかけての伊達氏の居城跡。とくに戦国大名伊達稙宗(たねむね)の根城として有名で、標高193mの高舘山(たかだてやま)を中心に築造され、高舘・中舘・西舘からなる東西約1.8km、南北約1kmの複郭式の平山城で、駿河舘、常陸舘をともなった巨大な城郭だった。1189年(文治5)、奥州合戦の功により伊達郡を拝領した中村念西(ねんさい)(伊達家初代)の居城として伝承されており、9代伊達大膳大夫政宗が1400~1402年(応永7~9)にかけて上杉禅秀の攻撃をしのいだ「赤舘(あかだて)」もこの西山城とみられている。この城を根拠地として、14代伊達稙宗は、1522年(大永2)、奥州守護・奥州探題となって戦国大名として成長していった。1542年(天文11)、稙宗と嫡子晴宗の内紛が起き、6年間の内紛を経て講和する。その結果、稙宗は丸森城隠居、晴宗は家督を継ぎ米沢城へ移り、西山城は廃城となった。1990年(平成2)、国指定史跡となる。現在は石塁、空堀、化粧坂などが残る。JR東北本線桑折駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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