丸森城(読み)まるもりじょう

日本の城がわかる事典 「丸森城」の解説

まるもりじょう【丸森城】

宮城県最南端に位置する伊具(いぐ)郡丸森町にあった戦国時代の山城(やまじろ)。伊達家当主で陸奥守護の伊達稙宗(たねむね)と、その嫡男晴宗(政宗の祖父)の間に起こった争乱(天文の乱・洞(うつろ)の乱、1542~48年)で敗れた稙宗が隠居所とした城で、稙宗は17年間この城で余生を送った。この城は隠居城として、乱が終息した1548年(天文17)に、稙宗により築かれた。1565年(永禄8)、稙宗が享年78歳で死去すると、稙宗の女婿(稙宗長女の夫)で、天文の乱で稙宗に加勢した相馬盛胤(南奥州の戦国大名)が伊具郡に侵攻して所領とし、配下の大河内外記を丸森城に入城させたことから伊達晴宗・輝宗父子が攻撃し、これをきっかけに伊達氏と相馬氏の間の8年間にわたる戦いへと発展した。1584年(天正12)、伊達輝宗・政宗父子により、丸森城およびその一帯の伊具郡は伊達領となり、黒木宗元、高野親兼が、次いで1601年(慶長6)には大條実頼が城主として配された。その後、実頼は鳥屋館(とりやだて)(同町丸森)に移った。現在、本丸跡は愛宕神社となっており、境内には伊達稙宗の墓碑がある。阿武隈急行鉄道の丸森駅からバスで金山町下車。丸森市街から国道113号線を金山方面に向かい、内川を渡った南側にあり、国道沿いに登城口への案内表示がある。◇丸山城、丸山要害とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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