伊達郡(読み)だてぐん

日本歴史地名大系 「伊達郡」の解説

伊達郡
だてぐん

面積:四九四・八九平方キロ
飯野いいの町・川俣かわまた町・月舘つきだて町・霊山りようぜん町・保原ほばら町・伊達だて町・桑折こおり町・国見くにみ町・梁川やながわ

中通り地方の北部に位置し、郡域は南北に長い。東部は霊山、花塚はなづか(九一八・五メートル)などが連なる阿武隈高地分水嶺で、宮城県伊具いぐ丸森まるもり町、相馬市・相馬郡飯舘いいたて村・双葉ふたば浪江なみえ町に接する。北は宮城県白石市、南は安達郡東和とうわ町・岩代いわしろ町、西は福島市に接する。北部を阿武隈川が北東流し、中央部を北流する広瀬ひろせ川が北部の梁川町で合流する。両河川流域に沖積平野が開けるが、他は丘陵・山地が大部分を占める。「延喜式」に載る東山道の駅路を踏襲した旧奥州道中(現国道四号)広瀬川・阿武隈川沿いの三春みはる(現三春町)―梁川―角田かくだ(現宮城県角田市)を結ぶ街道(現国道三四九号)の南北路、桑折から小坂こさか峠越の旧羽州街道、福島から相馬中村城下(現相馬市)に通じる中村街道(現国道一一五号)の東西路などが古くから利用され、国道四号に沿ってJR東北本線・東北自動車道が通る。近世は陸奥国南部に位置し、北は刈田かつた(現宮城県)、東は伊具郡(現同上)宇多うだ郡・行方なめかた郡・標葉しねは郡、南は安達郡、西は信夫しのぶ郡、出羽国置賜おきたま郡に接したが、現在は西部の一部が福島市に編入され、安達郡の北東端が当郡の南東部に編入されている。

承安元年(一一七一)八月二八日の平沢へいたく寺経筒銘に、「伊達郡平沢寺」とある。延元四年(一三三九)七月一八日の伊達為景相博状(結城大蔵結城文書)に「いたてのかもんのすけ為景」とあるほか、天文二二年(一五五三)晴宗公采地下賜録などから、中世には「いたて」郡と呼称したと考えられる。天文七年の段銭古帳では阿武隈川を境界に西部を伊達西根だてにしね(西根郷)、東部を伊達東根(東根郷)とよんでおり、文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では伊達と小手おで(東根郷の南部)とに区分された。

〔原始〕

縄文時代の遺跡は広瀬川流域や同川上流地帯の阿武隈高地に豊富に分布する。川俣町きたまた台山だいやま各遺跡は押型文・無文土器を含む早・前期の遺跡で、花塚山西麓部に同時期の国見町大木戸おおきど、川俣町の出付でつけ細畑ほそはた高屋敷たかやしきなどの遺跡がある。中期には複式炉をもつ竪穴住居跡が国見町岩淵いわぶち遺跡、月舘町わくうち遺跡、川俣町庚申森こうしんもり遺跡・細越ほそごえ遺跡、飯野町和台わだい遺跡・白山はくさん遺跡などにみられる。後期では埋設土器と配石遺構を中心とした広瀬川右岸の霊山町たけうち遺跡、同川支流大石おおいし川左岸の同町まつくら遺跡、国見町川原かわはら遺跡、川俣町大日平だいにちだいら遺跡・広畑ひろはた遺跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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