隠居(読み)いんきょ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「隠居」の意味・わかりやすい解説

隠居
いんきょ

家長が家長権、つまり家長としての地位、権限などを息子など継承者に譲渡して退隠の状態に入り、あわせて村落生活でも「家」の代表を次代に引き継ぐこと。明治民法では、戸主が生前に戸主権家督相続人に譲ることをさし、諸種の規定を設けていた。隠居の語意は「隠れて居る」ということであったが、その内容は時代、地域や階層によってさまざまな展開を示した。平安時代公家(くげ)社会では隠居は致仕退官を意味した。

 隠居をもって家督の譲渡をさすようになったのは戦国時代のことで、武将の間では家督を嫡子に譲り、自らは若干の財産を保留して退隠する風潮が広まった。この風は江戸時代の武家社会にも伝えられ、嫡子が成人妻帯して家長たるにふさわしい格式を備えると、相続と隠居をあわせ行った。別に罪科により家長権を剥奪(はくだつ)して隠居させる法もみられた。また町人社会には壮年の間に「若隠居」して、以後風流な生活を楽しむのを人生の理想とする傾向が生じた。それは「楽隠居」を形成し、これがしだいに隠居の一般通念となっていった。

 村落社会では現在も全国にわたり多様な隠居が認められる。とくに隠居者の生活はその居住、食事、経済などをめぐってさまざまである。たとえば隠居者の居所を取り上げても、隠居は同居隠居、別居隠居、分住隠居と3大別される。これは居所について、隠居者と継承者が屋棟(やむね)を同じくするかどうかによる分類である。なかでも別居隠居が隠居の主体をなしているが、これにも、隠居者夫婦だけが別棟の隠居屋に出る単独別居、継承者夫婦以外の家族員、つまり弟妹などを連れて出る家族別居があり、さらに長男の成人、結婚に際して次男以下を伴って隠居別居し、やがて隠居屋をもって次男以下の分家にあてる隠居分家の3種がみられる。ついで分住隠居とは、隠居に際して父親は本家に、母親は分家に分かれ住み、その後父母の葬式や年忌なども本分家別々にするものである。

 別居隠居ではしばしば食事、経済も別になり、一家のなかに複数の世帯を形成する。それは家族をもって世代別の居住を理想とする観念に基づくもので、ひいては夫婦家族(核家族)中心の家族構成をとるに至り、「家」の複世帯制を導くといえる。このような観念に支えられた隠居慣行は、福島県以南の太平洋岸各地、とくに伊豆諸島や三重県南部、紀伊半島、ついで瀬戸内海地方や四国、九州地方の各地に分布している。これらの地域はまた「末子相続」の慣行と重複する所も少なくなく、あわせて日本の家族慣行に独特な光彩を放っている。

[竹田 旦]

『穂積陳重著『隠居論』(1915・有斐閣)』『竹田旦編『大間知篤三著作集 第1巻』(1975・未来社)』『竹田旦著『民俗慣行としての隠居の研究』(1964・未来社)』『竹田旦著『「家」をめぐる民俗研究』(1970・弘文堂)』

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精選版 日本国語大辞典 「隠居」の意味・読み・例文・類語

いん‐きょ【隠居】

〘名〙
① (━する) 世の中のわずらわしさを避けて山野など閑静な所に引きこもって暮らすこと。また、その人。隠棲。閑居。楽隠居。
※続日本紀‐延暦二年(783)三月丙申「田麻呂、〈略〉十四年宥罪徴還隠居蜷淵山中、不時事
※今昔(1120頃か)一三「只隠居を好む心のみ有り」 〔論語‐季氏〕
② (━する) 官を辞し、世間での立場を退き、または家督を譲って世の中から遠ざかって暮らすこと。また、その人。また、一般的に、家長が生存中に、自分の自由意志によって、その権利を相続人に譲ること。また、その人。
※九暦‐九暦抄・天徳三年(959)一二月一四日「遣殿上諸衛佐等、令記京中隠居高年等之員、為恩給云々」
※浮世草子・世間胸算用(1692)四「されば今迄は惣領どのに隠居(インキョ)したまへども、二男の家をもたれければ、又気を替て、そこへ隠居の望み」
③ 表舞台から去ること。身をかくすこと。
※吾妻鏡‐文治二年(1186)三月一四日「前備前守源行家・前伊予守源義経等、姧心日積、謀逆露顕。逐於都城外、亡命山沢。隠居之所粗有其聞
※浮世草子・西鶴織留(1694)一「母親、隠居(インキョ)の戸をあけて下女をおこし」
⑤ 江戸時代、公家または士分の者に科した刑の一つ。不行跡や取締不十分などを理由に、その地位を退かせ、その食祿をその子孫に譲らせること。
※わらんべ草(1660)五「大倉彌太郎虎明〈略〉寛文元年、十一月、隠居被仰付、同十九日、法躰也」
⑥ 老人。老人を呼ぶ場合、また老人の自称としても用いる。
※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「こっちはねむくってならねへ。隠居(インキョ)さんこそ寝倦(ねあき)なはるから、夜の明るのを待兼なはるけれど」
⑦ 江戸時代、江戸小伝馬町の牢屋内には囚人達の私的な役人がいたが、そのうち官から命ぜられないで囚人たちの間で内々に決めた役人の名称。主要な牢内役人を退いた者を何々隠居などと呼んで優遇した(たとえば、大隠居、若隠居、隠居並)が、そのほか元入牢した際、名主をして牢法を心得ている者を「隅の隠居」、雪隠(せっちん)、すなわち便所への道にいる者を「つめ(雪隠のこと)の隠居」と呼ぶような例もある。
※歌舞伎・小袖曾我薊色縫(十六夜清心)(1859)序幕「(牢へ)行きゃア隠居と立てられて、見舞の初穂を喰ふ株だが」

かくれ‐い ‥ゐ【隠居】

〘名〙 隠れていること。また、その所。
※雅兼集(1135頃)「隠れゐの木くれの月のもるのみや紅葉散る夜のとりどころなる」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「隠居」の意味・わかりやすい解説

隠居
いんきょ

本来の意味は官職を退いて自宅に籠居すること。言葉は平安時代からあったが,戸主が生存中に家督,財産を相続人に譲渡することを隠居と称するのは室町時代に始り,鎌倉時代に法制上の問題となった。江戸時代の武士の隠居には願い出によるものと刑罰によるものとがあったが,前者には老衰 (70歳以上) と病気との2種の理由が認められた。明治民法においては,生きているうちに戸主権を家督相続人のために放棄する行為を隠居とし,戸主が満 60歳以上であること,および相続人をあらかじめ承認しておくことが規定されていた。こうした法律で規定されたような隠居とは別に,広く行われてきた隠居制による家族形態も一般的である。

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百科事典マイペディア 「隠居」の意味・わかりやすい解説

隠居【いんきょ】

戸主が生存中に家長の権限,財産を次代に譲ること(家督相続)。民法旧規定で制度化され,隠居者は満60歳以上とされた。1947年の新民法で廃止されたが,まだ一部で行われている。関東以西の太平洋側や九州には別居・別食・別財型,日本海側・東北地方には同居・同食・同財型が多い。父親と母親が本家と分家に分住する型や隠居分家という特異な型もある。
→関連項目還暦

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デジタル大辞泉 「隠居」の意味・読み・例文・類語

いん‐きょ【隠居】

[名](スル)
官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。また、その人。民法旧規定では、戸主が生前に家督を相続人に譲ることをいう。「社長のポストを譲って隠居する」「御隠居さん」
俗世を離れて、山野に隠れ住むこと。また、その人。
江戸時代の刑罰の一。公家・武家で、不行跡などを理由に当主の地位を退かせ、俸禄をその子孫に譲渡させた。
[類語]閑居隠遁わび住まい隠棲隠退老人年寄り老体ロートル・年配者・高齢者老いシニア老いぼれ長老老輩老骨

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旺文社日本史事典 三訂版 「隠居」の解説

隠居
いんきょ

家長が家督権・財産権を相続人に譲り隠退すること
隠居の称は室町時代以後らしい。江戸時代,公家・武士には願出隠居,強制的な罪科隠居の別があり,庶民間では安逸のため,楽隠居する風も生じた。

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世界大百科事典 第2版 「隠居」の意味・わかりやすい解説

いんきょ【隠居】

煩雑な社会を逃れて山野に隠棲すること,官位を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかることを意味する。平安時代の貴族社会にあって隠居は退官を意味したが,武家社会では家督相続など家のあり方をあらわす重要な慣行となった。江戸時代の武家社会では,隠居と家督相続が同時に行われるのが普通である。隠居の契機は相続人の婚姻や,隠居人の年齢的肉体的諸条件による場合が多い。また江戸時代では公家・武家の不行跡者にたいする刑罰の一種で,不行跡者を現在の地位から強制的に退隠させ,法体させた場合も隠居と称されている。

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普及版 字通 「隠居」の読み・字形・画数・意味

【隠居】いんきよ

世を避けて仕官しない。〔論語、季氏〕隱居して以て其の志を求め、義を行ひて以て其のすと。吾(われ)其の語を聞くも、未だ其の人を見ず。

字通「隠」の項目を見る

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世界大百科事典内の隠居の言及

【跡目】より

…相続の対象となる遺産だけでなく,その相続者をも跡目と呼ぶこともある(たとえば,〈跡目が絶える〉〈跡目を立てる〉など)。江戸幕府の武家相続法では,死亡による相続を跡目(万石以上の場合は遺領という)相続,隠居による相続を家督相続と呼んで区別している。【大藤 修】。…

【還暦】より

…還暦,古稀喜寿米寿,白寿などの年祝を総称して算賀,賀寿,あるいは〈賀の祝い〉というが,古稀以下が中世から祝われたのに対し,還暦の祝いは近世以降の慣習である。なお,かつて60歳か61歳で隠居をする例が多かった一因は,還暦観念に基づくものであろう。また往時の村落社会では,十三六十(じゆさんろくじゆう)とか十五六十と称して,13ないし15歳以上60歳までの村民が夫役に動員されることがあったが,この場合の60歳も還暦を区切りとしたものであり,さらにこれが隠居の契機ともなったものと思われる。…

【謹慎】より

…江戸時代,慎(つつしみ)と称した公家・武士の閏刑(じゆんけい)(特定の身分の者や幼老・婦女に対し本刑の代りに科す刑)は,《公事方御定書》が規定する塞(ひつそく),遠慮に類似の自由刑で,他出・接見などの社会的活動を制限することに実質的意義があったが,また名誉刑的な性格ももつ。幕末には大名処罰に隠居と併科された例が多くみられる。近代では,刑罰としての謹慎は1870年(明治3)の新律綱領に士族・官吏・僧徒の閏刑として存した。…

【致仕】より

…処罰の場合,原則として藩政には関与できないが,一般的理由なら,前藩主として時には藩政に口をはさむこともあった。初期には浅野長政のように幕府から5万石の隠居料を与えられ,子孫に相続させることができた場合,子の領地の一部を幕命によって分与された前田利常(22万石。死後藩主に戻された)の場合など,領地を与えられて老後の保障を受ける特殊な例もあったが,普通は藩主より年々一定の米金を受けて生活する。…

【百姓】より

…すなわち,家内奴隷的性格をもつ譜代下人(ふだいげにん)の労働と,半隷属的な小農の提供する賦役労働とに依拠して,大経営が維持されていた。半隷属的小農は名子,被官,家抱(けほう),隠居,門屋(かどや)など各地でさまざまの呼び方をされているが,これらはいまだ自立を達成しえない自立過程にある小農の姿である。これらの小農は親方,御家,公事屋,役家などと呼ばれる村落上層農民(初期本百姓)に隷属し,生産・生活の全般にわたって主家の支配と庇護を受けていた。…

【奉公人】より

…彼らは家内奴隷的性格が強く,主家に人身的に隷属して終身奉公する。自給的穀作農業を営む主家の農業経営は,譜代下人の労働と,自立過程にある小農(被官,家持下人,隠居など)の提供する賦役(ふえき)とによって支えられていた。譜代下人の成因には,中世以来の主家への隷属を継承したものと,人身売買の結果として発生したものとがある。…

【老人】より

…生産的労働からの引退ののちも家内的・自給的生産活動は引き続き行われる。社会的地位からの引退は,とくに村落社会の公的地位,すなわち政治的・経済的諸活動にかかわる地位からの引退であり,いわゆる村隠居である。村落社会における隠居制は同一家族内における生活単位の分離であり,その時期はさまざまであって,社会的地位からの引退に直結するものではないが,ほぼ60歳前後からはこうした地位を退くのが一般的である。…

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