栗谷村(読み)くりたにむら

日本歴史地名大系 「栗谷村」の解説

栗谷村
くりたにむら

[現在地名]福部村栗谷

細川ほそがわ村の南東塩見しおみ川右岸に位置する。寛永年間(一六二四―四四)金鉱が発見され、短期間採掘された(因幡民談記・因幡志)。産土神の八幡宮(現岡崎神社)は寛永一九年屋根葺替えをしているが(岡崎神社蔵棟札)、当時の金山繁栄と関連するものとも考えられる。拝領高は四七一石余、本免は四ツ六分。藪役銀四分余・山役米四石余を課されており(藩史)、山池の池田氏、大橋氏・和田氏の給地があった(給人所付帳)

栗谷村
くりたにむら

[現在地名]宮川村栗谷

熊内くもち村の北、宮川の支流栗谷川の上流にあり、周囲を山が囲む。当村から湯谷ゆたに峠を越えて北西方向は飯高いいたか七日市なのかいち(現飯南郡飯高町)に通じており、山間部の交通の要地であった。中世末には北畠氏の勢力下にあり、「五鈴遺響」によれば栗谷殿切とのきり城に住した栗谷某は、天正四年(一五七六)北畠具親の挙兵に加わったといわれ、栗谷砦には「唐櫃五身住セリ」と記されている。明治二年(一八六九)大指出帳(徳川林政史蔵)によれば家数六〇、人数二九四。

栗谷村
くりだにむら

[現在地名]榛原町大字栗谷

伊那佐いなさ山西麓、芳野ほうの川東岸に位置。宇太水分神社古図に「栗谷」と記す。慶長郷帳の村高三九一・一六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報