松前藩戸切地陣屋跡(読み)まつまえはんへきりちじんやあと

日本歴史地名大系 「松前藩戸切地陣屋跡」の解説

松前藩戸切地陣屋跡
まつまえはんへきりちじんやあと

[現在地名]上磯郡上磯町字野崎

戸切地川左岸の舌状台地上にある陣屋跡。国指定史跡。現在は桜の名所として有名。安政二年(一八五五)の箱館開港に伴い、箱館奉行は松前藩に対し「箱館表御警衛場所之義ハ七重浜迄より木古内村迄持場積」として「一 有川村 元陣屋取建人数差出候様可被致候」(松前箱館雑記)と指示した。松前藩側は陣屋地として戸切地の野崎のざき(穴平とも称する)を選定。同地は戸切地村の枝郷で、「蝦夷日誌」(一編)の段階では家六、七軒。すでに天明元年(一七八一)に「東部辺幾利知の西北、野崎の地こそ近国無双の城地」(松前広長「松前志」)、文化四年(一八〇七)に「箱館在野崎こそ要害の勝地」(近藤重蔵惣蝦夷地御要害之儀書付「蝦夷日誌」一編)などとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「松前藩戸切地陣屋跡」の解説

まつまえはんへきりちじんやあと【松前藩戸切地陣屋跡】


北海道北斗市野崎にある松前藩の陣屋跡。箱館港の開港にともなって蝦夷地防衛を強化するために、1855年(安政2)に江戸幕府が松前藩に命じて構築させた陣屋。五稜郭などと同様に西洋式の築城法で建設され、陣屋全体で四稜の星形をなし、17棟の建物で構成されていた。現在の北斗市の市街地から約5km内陸に入った高台にあり、函館湾を見渡すことができるロケーションで、約120人が守備にあたった。1868年(明治1)の箱館戦争で旧幕府軍の進撃を受け、守備隊自身の手によって自焼・放棄された。曲輪(くるわ)、土塁、空堀砲台遺構として残り、1965年(昭和40)に国指定史跡となった。1979年(昭和54)から環境整備が進められ、2001年(平成13)に完成した。1987年(昭和62)には四稜形をなす内部の町道部分が追加指定された。木造の門が復元されている。現在では憩いの空間として親しまれ、とくに4月末から5月上旬にかけて道道上磯峠線から陣屋跡へ続くおよそ800mの道路が「桜のトンネル」と呼ばれ、名所の一つとなっている。JR江差線上磯駅から函館バス「清川陣屋」下車、徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本の城がわかる事典 「松前藩戸切地陣屋跡」の解説

まつまえはんへきりちじんやあと【松前藩戸切地陣屋跡】

⇒戸切地陣屋(へきりちじんや)

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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