東馬流新田(読み)ひがしまながししんでん

日本歴史地名大系 「東馬流新田」の解説

東馬流新田
ひがしまながししんでん

[現在地名]小海町大字東馬流

標高八一〇―八五〇メートルの狭長な千曲川沖積地に立地。

延宝七年(一六七九)佐久郡下平尾村権右衛門・三塚みちづか村甚右衛門・香坂村権左衛門と当村東馬流の善兵衛は「崎田村之内高岩分東馬流芝間河原とも新田に開発仕度」との願出に対して高岩村名主佐右衛門と高岩・馬流両村の百姓二五名が賛同し連判嘆願している(「指上申口書之事」井出富久寿氏蔵)。天和元年(一六八一)桜井村安兵衛・香坂村権左衛門・三塚村善左衛門・馬流村(東馬流)善兵衛は馬流河原へ新堰掘用水を渡し、芝間を残らず開発して高一五〇石余の年貢を差し上げ、このほかに畑成田もできるので人足六〇〇人の助力を願っている(「御訴訟」同氏蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報