来迎寺跡(読み)らいごうじあと

日本歴史地名大系 「来迎寺跡」の解説

来迎寺跡
らいごうじあと

[現在地名]東洋町野根 東町

野根のね町並西方へ外れた付近に石垣が残り、民家の敷地になっている。浄土宗で阿弥陀如来本尊とし、聖衆山光信院と号した。「南路志」所収の寺記によれば天文年間(一五三二―五五)に紀州名草なくさ総持そうじ寺の学僧智仙が開基したもので、野根浦の発展途中に他国より来住した者のなかに浄土宗の信者が多かったが、同宗派の寺院がなかったためという。

来迎寺跡
らいごうじあと

[現在地名]本渡市亀場町亀川

寺中じちゆうの辺りが当寺跡と推定され、当地の五輪塔数基と応永年間(一三九四―一四二八)の銘をもつ宝篋印塔亀川かめがわ中学校裏地に移されている。本砥ほんど島の開発領主天草種有の子播磨局(大蔵太子)は父の菩提を弔うため私領内亀河かめがわの新開地に当寺を建立し、付近の所領を寄進した。しかし天草妙性の継子志岐景弘(弘円)は、天草氏の惣領として当寺住持職や亀河などにある寺領を奪ったため、当寺の堂舎はことごとく倒壊してしまった(元徳元年一〇月日「志岐弘円代覚心重申状案」志岐文書)。景弘はさらに元徳元年(一三二九)頃、当寺に仏餉料として寄進された土地(仏陀寄進之地)と称し、宮路みやじ(現天草郡新和町)塩屋しおやなどの支配をめぐって天草氏一族の宮地村地頭仏意と相論を展開しているが(同二年三月日「宮地村地頭仏意重陳状案」同文書)、この相論の結果は不明である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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