朱雀町(読み)すじやくちよう

日本歴史地名大系 「朱雀町」の解説

朱雀町
すじやくちよう

東山区問屋町通五条下ル

天保二年(一八三一)刊「京都巡覧記」は「しゆしやか」と仮名をふる。問屋町といやまち通に位置する。北は五条通、西は鴨川

宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」には、問屋町通の項に「五条下ル 朱雀町」、「此町中程、東入通あり。鞘屋町へ出る也」とある(鞘町へ抜ける小路とその以北の町域は、第二次世界大戦中の五条通拡幅で消滅)。更に同書は、「又一説に朱雀今云千本通は西朱雀にて、東朱雀は京極の東にあり。

朱雀町
すじやくまち

[現在地名]防府市国衙三―五丁目付近

近世には現山陽道沿いの東西に通る町の呼称であったが、都の条坊などから考えて、本来は国衙こくがの南中央正門より南に延びる大通の名称であったと思われる。「注進案」は「建久之比俊乗坊重源上人周防国司之時、国庁え付置れ候役人之住所之遺名と申伝へ候」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報